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2008年03月 アーカイブ

2008年03月05日

お礼とお知らせ

大変遅くなって申し訳ありません。

今回の暴動後の国内避難民支援基金、マイシャ イエンデレー プロジェクトに
ご協力いただいた皆様に厚くお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
前回の日記にもあるように、今後も継続的な支援を行っていく予定です。

ニャフルル周辺の状況をお知らせいたします。

各キャンプ地(教会など)では、できるだけ早期に避難民がそれぞれの家族単位で生活できる場所を
提供することに重点を置いており、現在集団で生活しているのはニャフルルの福祉会館のみです。
提供される場所は、借家(アパート)、住居内の空き部屋などで、大家さんや住民の善意に
よるところが大きく、食事についても家主からも支援を受ける場合がほとんどです。
もしくは知人や親類を頼っていく人も少なくありません。
避難民の99%はキクユ人です。

ニャフルル市内:
登録された避難民の数は1121人、うち300人ほどが市の福祉会館内でキャンプ生活をしています。
会館には避難民対策用の食糧、衣類などがストックされています。
会館外の人々は週に数回、会館で食糧を配給され、それぞれの住居で生活します。
会館自体、大きなキリスト教会に貸し出されているので、物資は豊富に見られ、
また、世話をするスタッフが常駐しています。
子供達は近くの小学校(8年制)へ通うことを許可され、ユニフォームは無いけれども
とりあえず勉強を続けられることに喜んでいます。
高校生(4年制)は、学費や食費が払えず、通えないケースもあります。
小学校には政府の方針で学費がありません。

マングオ(ニャフルルから5キロ、スラム地区)
およそ300人ほどが避難していると考えられます。最初は教会で生活していましたが
それぞれ住む場所を確保することができました。
子供達は近くの学校か市内の学校へ通っています。

カルガ(ニャフルルから12キロ)
およそ100名が最初の暴動で避難。教会やホテルで生活していましたが、現在は
すべて住居を確保されました。

マイロイネ(ニャフルルから8キロ)
PCEA、7thDAY各教会に約300人ずつ住んでいましたが、現在は皆それぞれ
住居を提供され、各地方へ移動しました。カソグへ移動した人々もいます。
教会内には残っていません。

カソグ(ニャフルルから36キロ)
かなりの田舎です。
およそ1200人の避難民が生活しています。上記場所は全て赤十字や大きな教会などから
食糧などの支援を受けることができましたが、ここには大きな教会もなく、
赤十字も通っていません。舗装道路から12キロほど悪路を入ったところに
位置することもその理由の一つです。地域のチーフと呼ばれる長がなんとか
食糧などを工面してきましたが、それも先週で底をつきました。
このあたりでは未だにちゃんとした住居を得られず、軒下などで寝起きしている人も
存在し、毛布や衣類なども大変不足しています。病院も遠く、不自由しています。
エンブ、アフリカ児童教育基金の会から支援を受け、来週ここに食糧を支援する予定です。
また、同所のケニア人スタッフへ衣類の提供を呼びかけてもらいました。
私達からは毛布を用意しようと思います。

アナン氏の仲裁をもって、各政党の対立にひとまずピリオドが打たれました。
あくまでも政治的な主張に関する妥協案に同意したというだけですけど、
大切な一歩であることは確かです。
各地での暴動も減少し、外務省の危険レベルも一部下げられました。
少しずつ落ち着きを取り戻しているといってよいと思いますが、
まだ非常に薄い氷の上にいるような感じです。
そして大きな大きな問題を抱えてしまいました。

大統領は皆それぞれの場所へ帰れ、もう安全だから、という。
一体何を根拠にそんなことをおっしゃりなさりやがるんだろう、と思う。
今現在でも逆に逃げてくる人、避難する人々がいるというのに。
もちろん戻ることができれば恐らくベストだ。
以前とまったく同じように暮らせるという保障があるのなら。
だけど心情的にも今すぐ帰るのは不可能だ。
5年後にまた選挙があるんだ。
というか今まで、西部では過去の選挙の度に衝突が起こったりしている。
そしてその度にその地を去り、別の土地でやり直そうと引っ越す人々がいる。
今のように避難民という呼び方はされないけれども。

手を差し伸べることからはじめよう。

2008年03月17日

地元紙に掲載

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ニャフルルの地域情報誌に私達の活動が掲載されました。

以下、本文の適当な翻訳です。

NGO ECHO 国内避難者への支援
ニャフルルのNGO ECHOは選挙後の暴動による被害者、避難民に対する支援の第一線で活動してきた。
echoスタッフのベン、ムホロによると、echoはリフトバレー、ニャンザ州からニャフルル近辺に避難してきた人々を支援してきた。
echoの責任者である佐藤(日本人)は、カルガに住む複数の避難家族にジコ(七輪のようなもの)、20リットルのポリタンク、毛布、食器類など、様々な品を贈呈した。ダラグアでは避難者の職業支援のために建物を借り、住居、美容院、理髪店、洋裁、木工などに仕切られる予定である。ベン、ムホロはechoが今後どのように支援を行っていくか、より詳細にわたって説明し、そのためにニャンダルア地区での避難者に関する情報を集めている。
避難者はナクル、コル、ロンディアニ、キスムなど様々な土地から来ている。
echoはエンブの天理教から派生し、後者はまたシャマタへの巡回診療と食糧支援を計画している。
一方で・・・・(以降、別のNGOの活動について記述)

そして13日、カニャギア地域で食糧などの贈呈を行いました。
※前回カソグと書いだ場所。正確にはこの地域名でした。
この時の支援物資はエンブのアフリカ児童教育基金の会からの協力です。
日本の支援者の皆様、そしてケニアのエンブの教会につながる皆様に
心からお礼申し上げます。
最後の写真が贈呈時のものです。

この日はおよそ370世帯の人々が集まりました。
物資はトウモロコシ 2.7トン、豆 450キロ、油、塩、石鹸、洗剤、衣類です。
さらに医者1名と薬品。これが大変ありがたかったです。
カニャギアは病院からとても遠いため、食糧よりも長蛇の列となりました。
避難者ではない地元の人も医者が来ていると聞いて列に加わっていたようです。
診療を終えた人から順におさづけのお取次ぎをさせていただきました。
スタッフ全員、大変疲れましたが、本当に充実した一日で、
あげた側ももらった側もみんな喜べた日でした。

地域のチーフから感謝状をいただきました。

でも彼らの困難はまだまだ多く、可能であれば再びなにかしらの支援のために
訪れたいと思います。この日集まったのはこの地域の避難者全体のおよそ半分の人々でした。

この贈呈に関しては次回詳細を追記したいと思います。

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