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キッズサポーター

キッズサポーター制度・NPOマムからの支援によって、モーゼス・ムトゥーリ君が学校に通えるようになりました。

HERO OF THE NATION小学校の6年生になりました。

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モーゼスは、西部のルヤ族の父とキクユ族の母親の間に産まれ、ケニア西部の町、ムミアスで暮らしていました。この街ではキクユ族は少数派です。2007年(前回の大統領選挙の年)、父親の体の具合が悪く、母親がジャガイモを売って生計を立てていました。

その12月、大統領選挙が行われ、その後、選挙に落選した西部部族がサポートしている対立候補が不正を訴え、暴動が起き、それがさらに部族間対立にまで発展し、ムミアスでも暴動、略奪、迫害などがありました。

家財道具を略奪され、住むとこを追われた家族は、町外れの父親の実家へ避難。時を同じくして父親の容態が悪化、病院に入院することになり、心臟部へ悪性腫瘍が転移したとの診断がおりました。

2008年7月、多くの爪あとを残しつつも暴動は収束に向かいます。しかしながら、地方都市でのいざこざは依然として続き、ムミアスでもそれは同じでした。当時、父親は「子どもの顔が見たい」と病院を出、実家に帰っていました。しかし夜半過ぎ、家の外での異変を感じます、人々の怒号、叫び声、悲鳴・・・。それらが続いて父親は不安、恐れから容態を悪化させ、翌日再入院します。ひとまず小康状態を取り戻したものの予断を許さない状況から、家族はまた次の日に見舞いに行くことにしました。しかしそれが最後となってしまいました。

父親を亡くした家族は身の危険を感じ、ムミアスを出て、母親の実家であるニャフルルに引越しました。仕事をさがすため母親は親類を頼ってナクルへ。子供達はニャフルルの祖父母の元に残ることになりました。かといって年老いた祖父と祖母に子供たちを養っていくだけの蓄えは無く、クリスチャン系孤児院の世話になったりして学校に通わせていました。しかしどこも状況は厳しく、母親のいるモーゼスの支援は打ち切られてしまいます。

サッカーが好きなモーゼスはグラウンドに来て FCグリフォンの練習に参加するようになり、そこではじめて事情が明らかになりました。

NPOマムの鶴巻氏がケニアを訪れた際にその話題になり、打ち合わせの末、マムからの支援が決まりました。

先日、学期休みで早速グラウンドに来ていました。
話を聞くと、中間テスト15位→期末テスト10位にアップ!頑張ったね。将来の夢は飛行機のパイロットになって、日本に行くことだそうです。頑張れー!

来週モーガンも帰ってきます。
二人とも似たようなハーフだから仲良くなれるかな。

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謝謝台湾

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2011年04月05日 03:05に投稿されたエントリーのページです。

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