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5月月次祭でした

昨日(27日)はお祭り日。
結構につとめさせてもらいました。

昨日付けの『通信』です。

梅花出張所通信42号
立教170年(2007年)5月27日発行

❍ 日誌
4月29日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝。(計8名)

❍ 我曰
 私達が所属する北海道の教会、花畔分教会では、NGO団体「echo」を立ち上げ、アフリカ・ケニヤ支援を行っています。弟がその中心となってケニヤに滞在していますが、昨年から始めている植林事業についての報告が入りました。昨年末に植えた種が現在1500本の苗木に育ち、これらを近隣の60もの学校の敷地内や生徒の家などに植えてもらう準備を進めているということです。活動が益々広がり嬉しく思うと同時に、一会員としてこちらからも何とかサポートしなくてはと考えています。あなたも「echo」の会員になりませんか?
我們所屬的教會就是位於北海道的花畔分教會。本教會有非政府組織 (Non-Government Organization)名叫[echo]進行對非洲的肯亞支援。我弟弟現在住在肯亞,支援活動是以他為中心進行。最近有關於植樹造林計劃的報告說:去年年底播的種子現在已經長到1500根樹苗了,正在準備發給近鄰的60所學校的校園或學生家。看到活動越來越擴大感到高興,同時因為我本身也是一個會員的立場,所以在想用什麼辦法能幫助相關的活動。您也當[echo]的會員,一起支援,好不好?

❍ 天理教教義的要項
たんのう
 「たんのう」の原義は足りているということだとされています。つまり、満足したという心の状態です。
 苦しい状況の中でたんのうするとは、単に歯を食いしばって我慢したり、泣く泣く辛抱することではありません。これで結構、ありがたいと前向きに受け止め、心を励まして踏ん張ることです。また、そこに運命の切り換わる道が開けてくるのです。従って、たんのうはあきらめの心情ではありません。悪い状態を無気力に受容することでもありません。
 「たんのうは前生いんねんのさんげ」とのお言葉にうかがえるように、成ってきた事柄を、成るべくして成ったものと受け止め、その因ってくるところを思案し、芳しくない運命が切り換わるよう、理づくり、努力することを決意することです。
 『ようぼくハンドブック』より
樂從
[樂從]日文原義本來是指著知足的意思而言,也就是說內心滿足的狀態。
在痛苦的情境下力行樂從,並不是咬緊牙根忍耐或不情願的承受,而是要放開心胸,以喜悅與感謝的心態接受,激勵自己往前邁進,如此就能打開改換命運之道。因此,樂從並非不得已而放棄的心境,也不是死心無奈的順從。
就如教義中所言[樂從即前生因緣之懺悔],將所發生的事情,當做應有的結果來接受,從其中思考原因,然後下決心改換不好的命運而努力積德才是。
摘自《新版用木手冊》

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2007年05月29日 01:00に投稿されたエントリーのページです。

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