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梅花5月月次祭

こんにちは。
高雄にあります天理教梅花出張所です。

25日、賑やかに月次祭をつとめさせてもらいました。
今月は、みかぐらうた(第1~3節)を書いて貼り、
唱和しながらおつとめができるようにしました。

では、同日発行の「通信」です。


梅花出張所通信54号
立教171年(2008年)5月25日発行

❍ 日誌
4月27日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益、邱玉鳳、
高雪芬、金雅萍、陳雅鈺、林信誠。(計11名)

❍ 我曰
 ちょうど1年ほど前、交通事故に遭った学生が運ばれた病院で、あるエホバの証人に出会いました。その男性も、その学生のお見舞いに来ていて、名刺を交換し、その日は分かれました。数日後、話をしたいと電話があり、家に来てもらい、少し話を聞きました。その日は一方的に聖書の話をして帰っていきましたが、その後何度も次はいつ会えるかと電話がありました。時間が合わず、結局半年ほど経ったある日、また来てもらいました。今回は色々と天理教について尋ねてくるので、一つ一つ丁寧にお答えしました。男性は、物事に対する受け取り方の違いに少々驚き気味でした。「ニュースを見ても分かるように、今世界は問題が山済みで、末期状態だ・・・」「いや、そんなことはない。周りを見れば、喜べること、嬉しいことのほうがかえって多いのでは?」という具合に。自分自身も話しながら改めて陽気ぐらしの実践の大切さを実感するいい機会となりました。
剛好一年前,學生發生車禍被送到醫院,我去看她的時候,有一個[耶和華見證人]也來看他,我們在醫院認識而交換名片。過幾天他打電話來說想跟我談話,我請他來我家談話。那天他一直說聖經多好,而一直唸聖經。之後,常常來電話說希望再聊。可是時間不合,結果過了大約半年後,他又來訪問我。這次他一直問我天理教的事,我也一個一個的親切答他提出的問題。因我們對事物的應對方法與其想法有很大的差異,他始終彷彿驚訝。像這樣;[看到新聞世界上問題太多,好像世界末日快到了][不會,看看你的周圍也有可歡喜的事,我覺得好事反而更多,不覺得嗎?]。那天我本身也一邊談一邊重新瞭悟康樂生活實踐的重要性,算是個好機會。

❍ 天理教實踐的要項
つくし・はこび
 「真実の限りを尽くす」「真実込めて足を運ぶ」というのが文字通りの意味です。「おかきさげ」の中では、真実の心を尽くす、真実の心を運ぶという意味で使われ、さらにそれは人のためにすることではなく、わが事として勤めるよう諭されています。
 また、汗を流しての働きの結晶でもある金銭を親神様への感謝の念と共にお供えすることを、「おつくし」といいならわしています。これは、お供えに込められた真実を捧げるところからの呼び方です。その真実を親神様がお受け取りくださるばかりでなく、欲の対象となりがちな金銭をお供えすることで自ずと欲を離れる、すなわち、心のほこりが払われることにもなります。
 「はこぶ」には、「赴く」「実行する」という意味があることから、教会への参拝や、ひのきしんのために教会へ足を運ぶことを指したりします。
 そのほか、おたすけに通うことを「おたすけに運ぶ」とか、また、「別席を運ぶ」といった使い方もされます。
 『ようぼくハンドブック』より
獻誠‧致力
就如文字上的意思,竭盡真誠,誠心以赴。[神訓]之中是盡到真誠,以誠心行動之意。這並不是為了別人,而是當做自己的事情所教諭的。
還有,對於辛勞工作而獲得的血汗錢,以感謝心而奉獻,這習慣稱為[獻誠]。這是真誠的奉獻。這種真誠不只能蒙父母神接受,由於奉獻的是代表私慾的金錢,自然能捨棄私慾,也就是掃淨內心的灰塵。
[致力]是帶著誠心勵行之意。例如前往教會參拜、為了奉行聖勞去教會、或出門拯救、聽到別席皆是。
摘自《新版用木手冊》

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2008年05月28日 12:18に投稿されたエントリーのページです。

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