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梅花通信65号

2009.03.29.JPG
3月月次祭の様子です。

こんにちは。台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
4月26日に月次祭をつとめ、梅花通信65号を発行しました。
では、ご覧下さい。どうぞ。

梅花出張所通信65号立教172年(2009年)4月26日発行

❍ 日誌
3月29日 梅花出張所3月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、林信誠、林聖傑、松下紀子、松下恭介。(参拝者計11名)

❍ 我曰
 朝目覚めた時、「ああ、今日もこんな良い体を貸してもらって、朝を迎えることができたー!」こんな一日の始まりが信仰者の日々だと思います。「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる」(『天理教教典』)とあります。さあ、皆さん、ひのきしんをしましょう!5月3日は全教一斉ひのきしんデーです。高雄では、仁愛公園(中正路愛河付近)で午後2時より行います。(台北は2日に伝道庁周辺で)

早上起床時,[啊,今天也能夠迎接美好的早上了。又有父母神借我這麼棒的身體哦!]信仰者的每日就應該這樣開始才對。[日常無論對於任何事情,當我們深切感到父母神的慈惠時,感謝的喜悅自然就會表現在態度上、行為上。這種表現、就稱為聖勞。]大家來一起聖勞,好不好?5月3日是今年的全教一齊聖勞日。在高雄仁愛公園(中正路愛河旁邊),下午2點開始。(台北是5月2日在傳道廳周邊舉行)

❍ 天理教教祖傳逸話篇
七 真心の御供
 中山家が、谷底を通っておられた頃のこと。ある年の暮に、一人の信者が立派な重箱に綺麗な小餅を入れて、「これを教祖にお上げして下さい。」と言って持って来たので、こかんは、早速それを教祖のお目にかけた。すると、教祖は、いつになく、「ああ、そうかえ。」と、仰せられただけで、一向ご満足の様子はなかった。それから二、三日して、又、一人の信者がやって来た。そして、粗末な風呂敷包みを出して、「これを教祖にお上げして頂きとうございます。」と言って渡した。中には、竹の皮にほんの少しばかりの餡餅が入っていた。例によって、こかんが教祖のお目にかけると、教祖は、「直ぐに、親神様にお供えしておくれ。」と、非常にご満足の体であらせられた。これは、後になって分かったのであるが、先の人は相当な家の人で、正月の餅を搗いて余ったので、とにかくお屋敷にお上げしようと言うて持参したのであった。後の人は、貧しい家の人であったが、やっとのことで正月の餅を搗くことが出来たので、「これも親神様のお陰だ。何は措いてもお初を。」というので、その搗き立てのところを取って、持って来たのであった。教祖には、二人の人の心が、それぞれちゃんとお分かりになっていたのである。教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった。
真誠的奉獻
這是中山家落入貧窮深淵時的事情。有一年年底,有位信者送來一個很漂亮的餐盒,裡面裝著十分好看的小年糕,說道:[請把這個呈獻給教祖。]於是小寒立刻把它送到教祖面前,可是教祖卻一反常態,只淡淡的回答:[啊,是嗎!]一點也沒有滿意的樣子。過了兩三天,有有一位信者來到,拿著粗舊的包袱,交給小寒,說:[請把這個呈獻給教祖。]打開一看,裡面的竹葉包著一小塊豆餡年糕。當小寒按照慣例把它呈給教祖時,教祖卻顯出非常滿意的樣子,說:[馬上供到父母神前。]事後大家才明白,原來前者的家庭相當富有,因為過年用的年糕有剩餘,所以才想要送到宅院;而後者家裡雖窮,但是對好不容易才做成的年糕卻滿懷感謝,心想:[這都是承蒙父母神的祐護,所以不管怎樣,一定要把頭一個年糕送去。]就這樣,他把剛做好的年糕送來了。可以說因為教祖老早知道了他們兩個人的心意。教祖所在意的一向是送禮者的誠心,反而不是禮品的輕重。

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2009年04月29日 01:32に投稿されたエントリーのページです。

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