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梅花通信66号

2009.04.26.JPG

梅花出張所4月月次祭の写真です。

こんにちは。
台湾は高雄市にある天理教梅花出張所です。
5月もあっという間に過ぎてしまいました。
全教一斉ひのきしんデーもありました。
端午節には「ちまき」をたくさん頂きました。

では、梅花通信66号をどうぞ。

梅花出張所通信66号立教172年(2009年)5月31日発行

❍ 日誌
4月26日 梅花出張所4月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、棚田義行、松崎道孝、松下紀子、松下恭介、小高由美子、小高夏美、小高真美、横田尚也。(参拝者計16名)

❍ 我曰
 5月3日は全教一斉ひのきしんデーでした。高雄では、仁愛公園で行われました。呂さん、許さん、邱さん、松下さんも参加され、ごみ拾いに心地よい汗を流しました。お疲れ様でした!また、5月5日は文藻外語学院夜間部で天理教の講義をさせて頂きました。自分の信仰生活の話もまじえながら、2時間ほどお話させて頂きました。良いにおいがけとなりました。

5月3日是今年的全教一齊聖勞日。在高雄仁愛公園舉行。呂san,許san,邱san,松下san也有參加。我們撿了公園的垃圾流了很爽快的汗水。辛苦了!5月5日我在文藻外語學院進修部演講了有關天理教的專題。大約2個小時的時間談到天理教的基本教義以及本身的信仰生活的話。我認為可播香了好多人。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
十六 子供が親のために
 桝井伊三郎の母キクが病気になり、次第に重く、危篤の容態になって来たので、伊三郎は夜の明けるのを待ちかねて、伊豆七条村を出発し、五十町の道のりを歩いてお屋敷へ帰り、教祖にお目通りさせて頂いて、「母親の身上の患いを、どうかお救け下さいませ。」と、お願いすると、教祖は、「伊三郎さん、せっかくやけれども、身上救からんで。」と、仰せになった。これを承って、他ならね教祖の仰せであるから、伊三郎は、「さようでございますか。」と言って、そのまま御前を引き下がって、家へかえって来た。が、家へ着いて、目の前に、病気で苦しんでいる母親の姿を見ていると、心が変わって来て、「ああ、どうでも救けてもらいたいなあ。」という気持で一杯になって来た。それで、再びお屋敷へ帰って、「どうかお願いです。ならん中を救けて頂きとうございます。」と願うと、教祖は、重ねて、「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん。」と、仰せになった。教祖に、こう仰せ頂くと、伊三郎は、「ああ、やむをえない。」と、その時は得心した。が、家にもどって、苦しみ悩んでいる母親の姿を見た時、子供としてジッとしていられなくなった。又、トボトボと五十町の道のりを歩いて、お屋敷へ着いた時には、もう、夜になっていた。教祖は、もうお寝みになった、と聞いたのに、更にお願いした。と。すると、教祖、「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る。」と、仰せ下された。この有難いお言葉を頂戴して、キクは、救からん命を救けて頂き、八十八才まで長命させて頂いた。
一六 子女為了父母
升井伊三郎的母親菊生了病,因為越來越嚴重,已到了危急的程度,於是伊三郎等不及天亮,即自伊豆七條村出發,走了五公里半的路程,回到宅院來晉謁教祖,祈求說:[請救救家母的病吧!]教祖回答說:[伊三郎,雖然你特地趕來,可是令堂的病已救不了。]既然教祖如此說了,伊三郎只好回答說:[是這樣嗎?]於是黯然的告別教祖回家去。回到家,看到正為病痛受苦的母親的樣子,又改變了心意,一直想著:[不論如何,一定要懇求救助才行。]於是再次回到宅院來,祈求教祖說:[無論如何請您設法拯救,拜託!]不料,教祖又說:[伊三郎,遺憾得很,我實在無能為力。]聽到教祖這樣說,伊三郎當時雖然也了解到這也是沒辦法的事,可是回到家之後,看到受病痛折磨的母親的樣子,實在是無法坐視。於是再一次提起精神,走了五公里半的路,回到宅院。這時,天色已暗,而教祖也已經就寢了。雖然這樣,他仍不死心的祈求教祖說:[我知道一切已無計可施,然而還是請您千萬想個辦法救救家母吧。]教祖回答說:[本來已救不了,不過你卻如此一再懇求。為人子女者為雙親不辭辛勞的苦心,方是真誠之心;真誠則神必定接受。]因有教祖這番可貴的話,終於使得本來拯救不了的生命獲得拯救。菊後來活到八十八歲的高齡,。

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2009年06月07日 23:37に投稿されたエントリーのページです。

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