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2009年09月08日

梅花通信69号

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梅花出張所7月月次祭のときの写真です。

こんにちは。
台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
毎月、月末に皆で集まり、おつとめをつとめ、食事しながら歓談を楽しんでいます。
8月23日のお祭りには、台北から彩さんと娘さんが参拝に来てくれました。

では、23日発行の通信69号をどうぞ!

梅花出張所通信69号立教172年(2009年)8月23日発行

❍ 日誌
7月26日 梅花出張所7月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、高雪芬、金雅萍、林信誠、小高裕次、小高夏美、小高真美。(参拝者計14名)

❍ 我曰
 10年前の1999年に、シンガポールにて921大地震のニュースを聞いて心を痛めたことを思い出しました。今回の台風八号は、家族想いの台湾人が大切にしている父の日(8月8日)に猛威を振るい、台風が過ぎた後にだんだんと被害の大きさが分かってきました。元のように戻るまで時間はかかりそうですが、早くみんなが安心して笑顔で暮らせるようになることを、ただただ祈るばかりです。

我想起十年前1999年那一年921大地震的新聞使我在新加坡心痛的事。這次的颱風是剛好對台灣人很重要的八月八日(父親節)那一天來勢兇猛,過了之後發現到此災情的嚴重。可能花很久才會回到原來的樣子,但我們需要衷心祈禱早日大家能夠無憂無慮喜笑顏開的生活。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
二六 麻と絹と木綿の話
 明治五年、教祖が、松尾の家に御滞在中のことである。教祖は「今日は、麻と絹と木綿の話をしよう。」と、仰せになって、「麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色が来る。色が来てしもたら、値打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故と一しょや。絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。よごれたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで。」とお仕込み下された。

二六 麻、絲綢和棉布的話
一八七二年,教祖待在松尾家時,教祖說:[今天我來說說有關麻、絲綢和棉布的話吧。][麻布,夏天穿起來既透氣,又不黏身,再也沒比它更舒爽的了,可是卻不適合在寒冬穿著,僅能當夏天的布料,而且若連穿三年就會變色;一旦變了色,價值就差了,這時候,就是染成深顏色,也會深淺不勻,變得一文不值。絲綢,無論做成和服或是和服的短外套,看起來都十分高貴。價位雖高,卻無人不想擁有。可是一個人若是像絲綢一樣就糟了。新的時候槍手,一旦有點舊,就派不上用場。至於棉布,它是任何人都會用到,十分平常的料子,可是再也沒有比它更方便、用途更廣的了。冬天可以保暖,夏天可以吸汗,耐髒又耐洗;褪色或舊了不能穿時,還可以改做小孩的尿布、或抹布、甚至可編成草鞋墊用。用到不能再用,這是棉布的特性。而像棉布一樣的人心,才是父母神所期望的呀!]

2009年09月29日

梅花通信70号

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8月月次祭

こんにちは。
台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
今月は27日に月次祭をつとめさせていただきました。
では、節目の70号をどうぞご覧ください。

梅花出張所通信70号立教172年(2009年)9月27日発行

❍ 日誌
8月23日 梅花出張所8月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、林信誠、日向寺奇芬、林政穎、林政勳、松崎道孝、廖彩蓮、李佳玟。(参拝者計15名)

❍ 我曰
  あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと
 おつとめの第一節です。これを21回繰り返します。手振りは、自分の心の中のほこりを払う動作です。ほこりの心とは、親神様が望まれない心の使い方で、つい知らず知らずのうちに積もってしまいます。互いたすけが出来る心になれるよう、心の掃除に励みましょう。

願將邪惡皆除盡 求神拯救我世人 天理歐諾彌格多
這是聖舞的第一節,要重複21次。手勢比掃除自己心靈的灰塵。灰塵就是不符合父母神意的心態,不小心就會積存的。為了能持有可互相幫助的心態,一起努力掃除心靈的灰塵吧。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
二九 三つの宝
 ある時、教祖は、飯降伊蔵に向かって、「伊蔵さん、掌を拡げてごらん。」と、仰せられた。伊蔵が、仰せ通りに掌を拡げると、教祖は、籾を三粒持って、「これは朝起き、これは正直、これは働きやで。」と、仰せられて、一粒ずつ、伊蔵の掌の上にお載せ下されて、「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで。」と、仰せられた。伊蔵は、生涯この教えを守って通ったのである。
三〇 一粒万倍
 教祖は、ある時一粒の籾種を持って、飯降伊蔵に向かい、「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで。」と、仰せられた。

二九 三個寶
有一天,教祖向飯降伊藏說:「伊藏,把手掌伸開。」飯降遵照吩咐,把手掌伸開,教祖拿了三粒稻穗,一邊說:「這一粒是早起;這一粒是正直;這一粒是勤勞。」一邊把稻穀一粒一粒地放在他手掌上;接著,又說:「你要好好的緊握住這三粒種子,可不要弄丟了!」於是伊藏一生信守不渝。
三○ 一粒萬倍
有一天,教祖拿了一粒稻種對飯降伊藏說:「只要播下一粒真實種子,那麼一年後,會有二、三百粒的收成;第二年,就會有數萬。這稱為『一粒萬倍』。到了第三年,即可足夠全大和國(現指奈良)播種用。做人要像這樣才行。」

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