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梅花通信69号

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梅花出張所7月月次祭のときの写真です。

こんにちは。
台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
毎月、月末に皆で集まり、おつとめをつとめ、食事しながら歓談を楽しんでいます。
8月23日のお祭りには、台北から彩さんと娘さんが参拝に来てくれました。

では、23日発行の通信69号をどうぞ!

梅花出張所通信69号立教172年(2009年)8月23日発行

❍ 日誌
7月26日 梅花出張所7月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、高雪芬、金雅萍、林信誠、小高裕次、小高夏美、小高真美。(参拝者計14名)

❍ 我曰
 10年前の1999年に、シンガポールにて921大地震のニュースを聞いて心を痛めたことを思い出しました。今回の台風八号は、家族想いの台湾人が大切にしている父の日(8月8日)に猛威を振るい、台風が過ぎた後にだんだんと被害の大きさが分かってきました。元のように戻るまで時間はかかりそうですが、早くみんなが安心して笑顔で暮らせるようになることを、ただただ祈るばかりです。

我想起十年前1999年那一年921大地震的新聞使我在新加坡心痛的事。這次的颱風是剛好對台灣人很重要的八月八日(父親節)那一天來勢兇猛,過了之後發現到此災情的嚴重。可能花很久才會回到原來的樣子,但我們需要衷心祈禱早日大家能夠無憂無慮喜笑顏開的生活。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
二六 麻と絹と木綿の話
 明治五年、教祖が、松尾の家に御滞在中のことである。教祖は「今日は、麻と絹と木綿の話をしよう。」と、仰せになって、「麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色が来る。色が来てしもたら、値打ちはそれまでや。濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故と一しょや。絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。でも、絹のような人になったら、あかんで。新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。よごれたら、何遍でも洗濯が出来る。色があせたり、古うなって着られんようになったら、おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで。」とお仕込み下された。

二六 麻、絲綢和棉布的話
一八七二年,教祖待在松尾家時,教祖說:[今天我來說說有關麻、絲綢和棉布的話吧。][麻布,夏天穿起來既透氣,又不黏身,再也沒比它更舒爽的了,可是卻不適合在寒冬穿著,僅能當夏天的布料,而且若連穿三年就會變色;一旦變了色,價值就差了,這時候,就是染成深顏色,也會深淺不勻,變得一文不值。絲綢,無論做成和服或是和服的短外套,看起來都十分高貴。價位雖高,卻無人不想擁有。可是一個人若是像絲綢一樣就糟了。新的時候槍手,一旦有點舊,就派不上用場。至於棉布,它是任何人都會用到,十分平常的料子,可是再也沒有比它更方便、用途更廣的了。冬天可以保暖,夏天可以吸汗,耐髒又耐洗;褪色或舊了不能穿時,還可以改做小孩的尿布、或抹布、甚至可編成草鞋墊用。用到不能再用,這是棉布的特性。而像棉布一樣的人心,才是父母神所期望的呀!]

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2009年09月08日 18:23に投稿されたエントリーのページです。

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