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2010年07月01日

梅花通信79号

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5月2日 全教一斉ひのきしんデー
高雄は、毎年愛河の仁愛公園で行っています。

みなさん こんにちは

台湾、高雄にあります、天理教梅花出張所です。

すっかり夏になりました。

高雄では、正午ごろ太陽が頭の真上にあります。
自分の影が真下・・・

では。梅花通信79号をお届けします。

梅花出張所通信79号
立教173年(2010年)6月27日発行

❍ 日誌
5月30日 梅花出張所5月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、なおり、日々喜。(参拝者計4名)

❍ 我曰
 誰でも体調を崩し、病気になることがあります。そんな時には、健康の有り難さを感じるものです。天理教では、私達人間の身体は親神様からお借りしているものと教えられています。自ら意識して呼吸をし、心臓を動かしているわけではないことを考えると、悟りやすいかもしれません。身体の異変は陽気ぐらしの階段を一段上がるためのステップです。毎日の感謝を忘れてはいけません。
 
無論誰都偶而會生病。那時應該感到健康的可貴。天理教教導說我們人類的身體是父母神借來的。想到通常無意識地呼吸、動心臟,也許較容易了悟。身體的異常情況可說是人類為了走上一步[康樂生活]樓梯的踏板。不能忘記每日的感謝。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
七二 救かる身やもの
 明治十三年四月頃から、和泉国の村上幸三郎は、男盛りのさ中というのに、坐骨神経痛のために手足の自由を失い、激しい痛みにおそわれ、食事も進まない状態となった。医者にもかかり様々治療の限りを尽くしたが、その効果なく、本人はもとより家族の者も、奈落の底へ落とされた思いで、明け暮れしていた。
 平素から聞いていた庄屋敷の生神様を思い出し、庄屋敷村めざして帰って来た。
 そして、教祖に親しくお目にかからせて頂いた。教祖は、
 「救かるで、救かるで、救かる身やもの。」
と、お声をおかけ下され、いろいろ珍しいお話をお聞かせ下された。そして、かえり際には、紙の上に載せた饅頭三つと、お水を下された。幸三郎は、身も心も洗われたような、清々しい気持になって帰途についた。
 家に着くと、遠距離を人力車に乗って来たのに、少しも疲れを感ぜず、むしろ快適な心地であった。そして。教祖から頂いたお水を、
 なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
と、唱えながら、痛む腰につけていると、三日目には痛みは夢の如くとれた。
 おぢばへ帰った幸三郎は、教祖に早速御恩返しの方法をお伺いした。
 教祖は、
 「金や物でないで。救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けてほしいと願う人を救けに行く事が、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように。」
と仰せられた。
 幸三郎は、そのお言葉通り、たすけ一条の道への邁進を堅く誓ったのであった。(要約)

七二 你該獲救啊
一八八○年(明治十三年)四月前後,和泉國的村上幸三郎正值壯年,卻因患坐骨神經痛而四肢動彈不得,劇烈得疼痛使得他幾乎無法進食。請醫生看,用盡了各種治療的方法,都沒有效果。不祇他本人,就是全家人也感到每天有如生活在無底深淵中似的痛苦。
失望之餘,忽然想起了有人曾說過[在庄屋敷村有活神],於是到了庄屋敷村,謁見了教祖。教祖說:
[會得救,會得救。你該獲救啊。]
除了對他說各種珍貴的話,在他回家時,還用紙包三個糕餅以及一些神水賜給他。幸三郎感到身心有如沖洗過一樣,以十分清爽的心情回家去了。
一路上,雖是坐了很長久的人力車,但到家時,卻一點兒也不覺得疲憊,反而覺得很舒暢。於是取出由教祖那兒領受到的水,一邊誦念[南無天理歐諾彌格多 南無天理歐諾彌格多],一邊塗在腰部。第三天,腰疼如夢一般的消失了。
回到原地的幸三郎,立刻向教祖請示報恩的方法。教祖說:
[不是用金錢或物質,而是要以獲救的喜悅之心去拯救那些想要獲救的人,這才是最好的謝恩方法,所以要好好地進行拯救工作。]
幸三郎遵照此言,堅決立誓,自此邁向專心拯救之道。(摘要)

2010年07月30日

梅花通信80号

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天理教梅花出張所6月の月次祭に参拝された皆さん

みなさん、こんにちは。
台湾、高雄市にあります天理教梅花出張所です。
毎月最後の日曜日にみんな集まって月次祭の参拝をしています。
参加したい方はご連絡ください。お待ちしています。

では、『梅花通信80号』をどうぞ。

梅花出張所通信80号 立教173年(2010年)7月25日発行
❍ 日誌 6月27日 梅花出張所6月月次祭  佐藤圭司、むつ美、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、謝志昆、洪龍山、謝秀奉、黃曼芬、黃俊豪、小高裕次、小高由美子、小高真美、松崎道孝。(参拝者計15名)

❍ 我曰
 「陽気ぐらしのキーワード、感謝・慎み・たすけあい」天理教のキャッチフレーズですが、この3つはとても大切だと思います。特に今の時代、「慎みの心」を忘れている人が多いように思います。そんな人は、我さえよければ、今さえよければそれでいい、という自己中心的な考え方になってしまいがちです。陽気な暮らしがあちこちから現れてくるように、自分の心の中に「慎み心」をいつも育てていたいものです。
 
[康樂生活的關鍵詞,感謝‧慎行‧互助]這是天理教的一個標語口號。我覺得這三個都很重要的。特別現在我想很多人忘記[慎行之心]。所以很多人往往會有以自己為中心的想法,類似只要我好就好、只要現在好就好‧‧‧。為了在我們的周邊以及世界各地快樂的氣氛出現,應該在自己的心裡一直養育[慎行心]才對,不是嗎?

❍ 天理教教祖傳逸話篇
七七 栗の節句
 教祖は、ある時、増井りんに、
「九月九日は、栗の節句と言うているが、栗の節句とは、苦がなくなるということである。栗はイガの剛いものである。そのイガをとれば、中に皮があり、又、渋がある。その皮なり渋なりをとれば、まことに味のよい実が出て来るで。人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで。」
と、お聞かせ下された。
七八 長者屋敷
 教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に、
「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで。」
と。

七七 栗子節
有一天,教祖告訴增井玲:
[九月九日是栗子節。所謂的栗子節是要去掉苦澀的意思。栗子外殼帶刺而且堅硬;剝開外殼後,是一層厚皮和帶有澀味的薄膜;再把那厚皮和薄膜剝掉,就會出現味道甜美的果肉來。人也是如此,在聽到教理後,若能去掉外皮和澀味,內心將會甜美無比。]
七八 豪門宅院
教祖曾對舛井菊:
[在宅院的人,如果想吃好的、穿好的、住好的,是無法住在宅院;反之,只要你不想吃好的、穿好的、住好的,這是一個沒有任何不便的宅院。這才是世界上的豪門宅院呀!]

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