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2010年11月04日

梅花通信82号

20100829.JPG

梅花出張所8月月次祭に参拝された皆さんです。↑

皆さん、こんにちは!
台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
高雄もだんだん寒く(涼しく)なってきました。
子供はまだまだ半袖ですが・・。
10月31日は当出張所秋季大祭をつとめました。
同日発行の「梅花通信82号」です。↓

梅花出張所通信82号立教173年(2010年)10月31日発行

❍ 日誌
8月29日 梅花出張所8月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、謝志昆、謝秀奉、黃曼芬、松崎道孝、小高由美子、小高真美。(参拝者計12名)
9月30日 梅花出張所9月月次祭
 佐藤圭司、むつ美、なおり、日々喜。(参拝者計4名)

❍ 我曰
 先月は、皆さんにご心配をおかけしました。デング熱にかかり、生まれて初めて入院を経験しました。やはり身体は自分のものではなく、神様からお借りしているものだと実感しましたし、「大難は小難に」とお教えいただくとおり、症状もそれほどひどくなく、程無く元気にしていただきました。神様はもちろん、家族や周りの人への感謝の気持ちをあらためて強く持ちました。
 
上個月讓大家擔心了,不好意思。我罹患了登革熱,第一次體驗了[住院]。透過生病深深感受到[身體不是自己的而是借自父母神的]。教義教導說[父母慈心使大難化小],真是如此我的症狀並不嚴重,不久後馬上恢復了。這次我重新持有了對父母神,還有對家人以及所有周邊人的感謝之心。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
八八 危ないところを
 明治十四年晩秋のこと。土佐卯之助は、北海道奥尻島での海難を救けて頂いたお礼に、船が大阪の港に錨を下ろしたその日、おぢばへ帰って来た。そして、かんろだいの前に参拝して、親神様にお礼申し上げると共に、今後の決心をお誓いした。
 嬉しさの余り、お屋敷で先輩の人々に、その時の様子を詳しく話していると、その話に耳を傾けていたある先輩が、話をさえ切って、おい、それは何月何日の何時頃のことではないか。と言った。日を数えてみると、全く遭難の当日を言いあてられたのであった。その先輩の話によると、
「その日、教祖は、お居間の北向きの障子を開けられ、おつとめの扇を開いてお立ちになり、北の方に向かって、しばらく、
 『オーイ、オーイ。』
と、誰かをお招きになっていた。それで、不思議なこともあるものだ、と思っていたが、今の話を聞くと、成る程と合点が行った。」とのことである。これを聞いて、土佐は、深く感激し、たまらなくなって、教祖の御前に参上して、「ない命をお救け下さいまして、有難うございました。」と、畳に額をすり付けて、お礼申し上げた。その声は、打ちふるえ、目は涙にかすんで、教祖のお顔もよくは拝めないくらいであった。その時、教祖は、
 「危ないところを、連れて帰ったで。」
と、やさしい声でねぎらいのお言葉を下された。この時、土佐は、長年の船乗り稼業と手を切って、いよいよたすけ一条に進ませて頂こうと、心を定めたのである。

八八 從危險的境地
一八八一年(明治十四年)晚秋的時候,土佐卯之助在北海道奧尻島遭遇海難而獲救,為了致謝,利用船在大阪港停留的那一天,回到原地來。他在甘露台前參拜,向父母神致謝,並對今後的決心立下誓願。
由於十分慶幸,土佐於是在宅院裡將當時的經過情形詳細地敘述給前輩們聽,這時其中一位前輩,打聽了他的談話,問道:[噫,那不是某月某日某時前後的時嗎?]土佐數一數日子,果然沒錯,就是遇難的那一天。據那位前輩說:
[那一天,教祖打開居室的北向紙門,打開聖舞扇子,站起來,面向北方,
《喂-喂-》
的喊了一下子,不知在招呼誰。當時我覺得很奇怪,現在聽了你講的話,我才恍然大悟。]土佐聽了以後,內心十分感動,於是到教祖面前,跪在榻榻米上,磕頭致謝道:[承蒙拯救,萬分感謝!]顫抖的聲音,盈眶的淚水,幾乎連教祖的臉都無法看清。那時教祖以柔和的聲音安慰說:
[把你從危險的境地帶回來呀!]
這時,土佐才決意要放棄多年的船運工作,一心邁向專心拯救工作。

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