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2011年06月 アーカイブ

2011年06月05日

梅花通信89号

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4月の月次祭に参拝された皆さんです。

こんにちは。
台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
今日はすでに6月5日(花畔の会長さんのBD・・おめでとう)。
明日6日は、旧暦5月5日、端午節です。
さっそく昨日は頂いた粽を食べました。
高雄は愛河でドラゴンボート大会が行われますが、
今日は愛河を通りかかり、ボートを見てきました。

少し遅くなりましたが、5月29日梅花の月次祭に発行しました、
「梅花通信89号」をお届けします。

梅花出張所通信89号
立教174年(2011年)5月29日発行

❍ 日誌
4月24日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、日々喜、謝秀奉、黃曼芬、謝佩容、高雪芬、小高裕次、小高由美子。(参拝者計9名)

❍ 我曰
 この世に暮らす人間は誰しも道に迷うことがあると思います。どっちに進めばいいのか?引き返したほうがいいのか?と。そんな時、私達天理の教えを聞いている者には、お手本があります。それは教祖が歩まれた50年の道(ひながた)です。そこに照らし合わせて進めば、安心して、自信を持って、歩んでゆけます。教祖のひながたを学んでみませんか?
 
生活在這個世界的人們無論誰都應該會偶而迷失方向。該走那一條路呢?反而折回比較好嗎?像這樣的時候,我們天理人有模範。那就是教祖曾經走過的50年的路(我們稱之為[典範之道])。按照典範行走的話,可以安心地、又有信心地走下去。要不要學教祖的典範呢?

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一三〇 小さな埃は
 明治十六年頃のこと。教祖から御命を頂いて、当時二十代の高井直吉は、お屋敷から南三里程の所へ、おたすけに出させて頂いた。身上患いについてお諭しをしていると、先方は、「わしはな、未だかつて悪い事をした覚えはないのや。」と、剣もホロロに喰ってかかって来た。高井は「私は、未だ、その事について、教祖に何も聞かせて頂いておりませんので、今直ぐ帰って、教祖にお伺いして参ります。」と言って、三里の道を走って帰って、教祖にお伺いした。すると、教祖は、
 「それはな、どんな新建ちの家でもな、しかも、中に入らんように隙間に目張りしてあってもな、十日も二十日も掃除せなんだら、畳の上に字が書ける程の埃が積もるのやで。鏡にシミあるやろ。大きな埃やったら目につくよってに、掃除するやろ。小さな埃は、目につかんよってに、放って置くやろ、その小さな埃が沁み込んで、鏡にシミが出来るのやで。その話をしておやり。」
と、仰せ下された。高井は、「有難うございました。」とお礼申し上げ、直ぐと三里の道のりを取って返して、先方の人に、「ただ今、こういうように聞かせて頂きました。」と、お取次ぎした。すると、先方は、「よく分かりました。悪い事言って済まなんだ。」と、詫びを入れて、それから信心するようになり、身上の患いは、すっきりと御守護頂いた。

一三○ 細微的灰塵
一八八三年(明治十六年),當時二十多歲的高井直吉奉教祖的命,到宅院南面三里(合十二公里)遠的地方進行拯救工作。當他對病人曉諭有關患病之事,不料對方竟氣勢兇惡地爭辯說:[我記得自己從來不曾做過什麼壞事啊!]高井回答說:[關於這件事,我還沒有聽教祖教導過,現在我馬上回去請示教祖。]說完急急忙忙趕了三里路回來,向教祖請示。於是教祖回答說:
[不論任何新蓋的房子,為了防止灰塵進去,而把所有的縫隙都完全塗上,十天、二十天不打掃的話,榻榻米上也會照樣積上一層灰塵,而且還厚得幾乎都可以寫字。再說鏡子上的污點,如果是眼睛可以看得到的塵埃,我們會立刻擦掉;但如果是那種眼睛看不清,極細微的灰塵,往往就會疏忽。鏡子上一旦被細微的塵埃蒙上,就會有污點出現。你把這話告訴他。]
高井在道過謝後,馬上又走了三里的路趕回去,對病人說:[剛才我所聽到的教導是這樣……]於是將教祖的話傳達給他。對方聽完之後,連忙道歉說:[我懂了,剛才失言之處,請原諒!]從此開始信仰,而且承受祐護恢復了健康。

2011年06月27日

梅花通信90号

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天理教梅花出張所5月月次祭に参拝された皆さんーー

こんにちは!台湾、高雄にあります、天理教梅花出張所です。
台湾の大学は、長い長い夏休みに入りました。
そして、暑い暑い毎日が続いています。
高雄は、さすが熱帯気候に属するだけあって、日差しがハンパないです。
でも、木陰など日陰に入ると、わりと涼しく爽やかな感じもします。
7月に入ってくると、毎日の昼下がりには夕立が来ます。
けっこう強く降るので、南洋のスコールのようです。

そんな中、昨日26日夕刻に当出張所6月の月次祭をつとめました。
同日発行の「梅花通信90号」をお届けします。

梅花出張所通信90号立教174年(2011年)6月26日発行

❍ 日誌
5月29日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、日々喜、謝佩容、陳翠娟。(参拝者計5名)

❍ 我曰
 台湾の卒業式、終業式シーズンです。最近謝恩会など学生などに招待され一緒に食事する機会が多く、その場で感じたことです。食事が終わり、料理が残ってしまった時、包んでもらって持ち帰る姿がよく目に映りました。物を粗末にしない「もったいない」精神を皆持っているなあと嬉しく思いました。今この瞬間にも餓死していく人が存在するこの世界ですから、こんな気持ちは絶対に大事にしたいと強く感じました。

台灣現在是畢業、學期末的季節。最近像謝師宴等被學生們邀請出去一起用餐的機會很多。這是在當場感覺到的。我常常看到用完餐後把剩下的菜叫服務員打包帶回家的情景。大家都持有[不能浪費東西]的精神,使我感到非常高興。在世上現在這時刻也有人餓死,我覺得絕對不要忘記這事實,而重視這種精神。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一三二 おいしいと言うて
 仲田、山本、高井など、お屋敷で勤めている人々が、時々、近所の小川へ行って雑魚取りをする。そして、泥鰌、モロコ、エビなどを取ってくる。そして、それを甘煮にして教祖にお目にかけると、教祖は、その中の一番大きそうなのをお取り出しになって、子供にでも言うて聞かせるように、
 「皆んなに、おいしいと言うて食べてもろうて、今度は出世しておいでや。」
と、仰せられ、それから、お側に居る人々に、
 「こうして、一番大きなものに得心さしたなら、後は皆、得心する道理やろ。」
と、仰せになり、更に又、
 「皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ。人間に、おいしいと言うて食べてもろうたら、喜ばれた理で、今度は出世して、生まれ替わる度毎に、人間の方へ近うなって来るのやで。」
と、お教え下された。
 各地の講社から、兎、雉子、山鳥などが供えられて来た時も、これと同じように仰せられた、という。

一三二 對牠說好吃
仲田、山本、高井等,在宅院裡服務的人們,時常到近處的小河裡撈些小魚、泥鰍、小蝦等紅燒。煮好之後,端出來給教祖。教祖往往挑出其中看起來像最大的一條,然後如同對小孩子說話般的對牠說:
[現在被可口的吃掉,來世會更好。]
然後對在場的人說:
[只要最大的一條能了解的話,其餘的也都會了解吧。]
她更教導大家說:
[希望你們在吃的時候,都能高高興興的吃掉,那麼被人們稱讚好吃而吃下肚的食物,依喜悅之理在下次出世到世間時才會更上一層,而且每出生一次,會更接近人類。]
據說教祖對各地講社所送來上供的兔子、雉雞、野鳥等,也都這麼說。

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