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梅花通信91号

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6月月次祭に参拝された皆さんですー

皆さん、こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
8月になりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
高雄はすっかり夏。日中は突き刺すような日差しで、
日なたに長時間いると大変です。
が、午後は決まって夕立があり、あがった後は、
少し涼しく感じられます。
夜寝る時も窓を開けると、けっこう風が入ってきて、
扇風機さえつけずに寝られることも。
羨ましいでしょう?!
では。
31日発行の梅花通信91号をどうぞ!!

梅花出張所通信91号立教174年(2011年)7月31日発行

❍ 日誌
6月26日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、日々喜、謝志昆、謝佩容、謝富華、林美淑、李孟勳、小高裕次、小高由美子。(参拝者計10名)

❍ 我曰
 日本でテレビのCMを見ました。「こころ」は誰にも見えないけれど「こころづかい」は見える。「思い」は見えないけれど「思いやり」は誰にでも見える。宮澤章二という詩人の書いた詩のフレーズだそうです。街で困っている人がいたら「大変だろうな」と思っても、手を貸す行動に移せる人はどれくらいいるでしょうか?私達が目標にする「たすけあい」の第一歩がここにあるように感じました。

在日本看到了一個電視廣告。[心]雖然無法用肉眼去觀察但是[體貼的心意]卻是可以被感受到的。[想法]雖然沒辦法用肉眼去觀察但是[為人設想的想法]是誰都能感受到的。據說這是詩人宮澤章二寫的詩詞。在路上遇到了需要幫忙的人,很多人應該會心想[很辛苦吧],但到底有多少人能實際去動手幫忙他呢?我想這樣的小行動就是我們信仰生活之目標[互助精神]的第一步。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一三五 皆丸い心で
 明治十六、七年頃の話。久保小三郎が、子供の楢治郎の眼病を救けて頂いて、お礼詣りに、妻子を連れておぢばへ帰らせて頂いた時のことである。
 教祖は、赤衣を召してお居間に端座して居られた。取次に導かれて御前へ出た小三郎夫婦は、畏れ多さに、頭も上げられない程恐縮していた。
 しかし、楢治郎は、当時七、八才の子供のこととて、気がねもなくあたりを見廻わしていると、教祖の側らに置いてあった葡萄が目に付いた。それで、その葡萄をジッと見詰めていると、教祖は、静かにその一房をお手になされて、
 「よう帰って来なはったなあ。これを上げましょう。世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。この道は、先永う楽しんで通る道や程に。」
と、仰せになって、それを猶治郎に下された。

一三五 圓融的心
一八八三、四年(明治十六、七年)左右,久保小三郎因孩子楢治郎的眼疾獲得拯救,為了參拜致謝,於是帶著妻子回到原地來,當時的情景是這樣:
教祖身穿紅衣,端坐在居室,小三郎夫婦在傳達人的引導下到了教祖的面前,他們倆因十分惶恐,連頭都不敢抬起來。
可是當時還是七、八歲的楢治郎,卻毫無顧忌地東張西望,他一眼看到了放在教祖身旁的葡萄,於是,目不轉晴地一直看著。教祖輕輕地拿起一串葡萄說:
[歡迎你們回來。來,這個給你!世界就像這葡萄一樣,人人都要以圓圓的心互相聯繫才行。這是歡待日後而欣然前進之道啊!]
說著把把那葡萄給了楢治郎。

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2011年08月02日 01:12に投稿されたエントリーのページです。

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