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梅花通信100号

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梅花出張所3月月次祭に参拝された皆さんです!

みなさん、こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
きのう月次祭をつとめ、通信を発行させていただきましたが、
なんと区切りの100号!
2000本安打じゃないですが、これも一つの通過点。
続けていくことがまず大切。コツコツいきましょう。

では、みなさん、ご覧ください!

梅花出張所通信100号
立教175年(2012年)4月29日発行

❍ 日誌
3月25日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、日々喜、高雪分、謝佩容、謝志昆、黃美蘭、小高裕次、小高由美子、棚田義行。(参拝者計10名)

❍ 我曰
 感謝の心は信仰の出発点だと思います。朝目が覚めた時「ああ、今日も結構に朝が迎えられた」と、また一日の終わりに「一日結構にお連れ通り頂いた」と神様にお礼を申し上げます。そして、月次祭では一か月の感謝の気持ちを神様に捧げます。感謝の気持ちを行いに表すと、「ひのきしん」になります。ひのきしんの姿は、周りの人も気持ちよく感じられるし、何より神様にもお喜び、勇んで頂けます。一年に一度全世界で一緒に行う「ひのきしんデー」が高雄では5月6日14時から仁愛公園であります。一緒に心地よい汗を流しませんか?

信仰的出發點就是感謝之心。每天早上睡醒時想[啊,今天也能醒來了],而晚上想[今天也很平安過去了],應向父母神道謝。參拜月次祭時要表示這一個月的感謝心。然後把感謝之心用行為來表現的,被稱為[聖勞]。聖勞這個表現,影響到周圍的人感到歡喜,而且使父母神歡樂踴躍的。[全教一齊聖勞日]是一年一次在全世界同步進行聖勞的日子。在高雄(仁愛公園)5月6日下午2點開始。請大家踴躍參加,一起流很舒暢的汗水,怎麼樣?

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一五八 月のものはな、花やで
 ある時、教組は山本利八に、
 「あの南瓜や茄子を見たかえ。大きい実がなっているが、あれは、花が咲くで実が出来るのやで。花が咲かずに実のなるものは、一つもありゃせんで。そこで、よう思案してみいや。女は不浄やと、世上で言うけれども、何も、不浄なことありゃせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。女というものは、子を宿さにゃならん、一つの骨折りがあるで。女の月のものはな、花やで。花がのうて実がのろうか。よう、悟ってみいや。南瓜でも、大きな花が散れば、それぎりのものやで。むだ花というものは、何んにでもあるけれどな、花なしに実のるという事はないで。よう思案してみいや。何も不浄やないで。」
と、お教え下された。(抜粋)

一五八 月事恰如花
有一回,教祖對山本利八說:
[你看到那個南瓜和茄子嗎?能夠結出碩大的果實,是因為有開花才會結果的呀!花不開,那能結果呢?因此,你好好想一想,世人都說女人不潔淨,可是並沒有什麼不潔淨,不論男女一樣都是父母神的子女。只不過女性比男人多一樣苦差事,那就是懷孕生子。女人的月事恰如是花。沒有花,那有果?所以要好好的了悟。即使是南瓜,大的花只要一凋謝,就什麼也沒有了。雖然不結實的花,到處都有,可是絕不會有無花而結果的道理。仔細想一想,就可以明白沒有什麼不潔淨的呀。](摘錄)

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2012年05月01日 00:57に投稿されたエントリーのページです。

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