« 梅花通信109号 | メイン | 梅花通信111号 »

梅花通信110号

20130324.JPG

♪ 梅花出張所2月月次祭に参拝された皆さん ♪

みなさん、こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
春ですね。
高雄もあちらこちらで綺麗な花が咲き誇っています。
気に入っている花は、ブーゲンビリア。
実は、うちのベランダにも鉢植えがあり、最近咲き始めました。
春といっても、日中の気温は軽く30度を越えています。
まだ夏とは言えませんが、もうそこまで来てる感じです。

では、3月31日発行の「梅花通信110号」をご覧ください!

梅花出張所通信110号立教176年(2013年)2月24日発行

❍ 日誌
2月24日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、長田万里、小高裕次、小高由美子、高野忠、棚田義行、京塚。(参拝者計8名)

❍ 我曰
 今日は、お葬式に参列してきました。天理教では、生まれた時に親神様からこの体をお借りし、出直す時にお返しする。そしてまた新しい体をお借りするので、ちょうど古い着物を新しいものに換えるよう、と教えられますが、別れはやはり寂しいものです。北海道出身の和田さんは、高雄で演歌教室を開き十数年にわたって大勢の方を指導されました。今日は改めて台湾の方々に慕われていたんだなとしみじみ思いました。そして棺を見送る時の生徒さん達の涙ながらの合唱。心に響く歌声を聴きながら和田さんも満足されているのではと考えていました。

今天我去參加喪禮。天理教的教義說,人類出生時向父母神借這身體,而轉生時還給父母神。然後再借新的身體,所以好像把舊的衣服換成新的衣服一樣。雖是如此,告別是仍然感到寂寞。出生在北海道的和田先生來到高雄後,開了演歌教室經過十多年教導很多門生。今天我深深了解她們多麼敬仰和田老師。最後送行的時候,她們流著眼淚唱歌。一邊聽到震人心弦歌聲一邊想到和田先生也可能覺得很滿意吧。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一八五 どこい働きに
 明治19年3月12日、山中忠七と山田伊八郎が、同道でお屋敷へ帰らせて頂いた。
 教祖は、櫟本の警察分署からお帰りなされて以来、連日お寝みになっていることが多かったが、この時、二人が帰らせて頂いた旨申し上げると、お言葉を下された。
 「どこい働きに行くやら知れん。それに、起きてるというと、その働きの邪魔になる。(中略)
 人間も二百、三百才まで、病まず弱らず居れば、大分に楽しみもあろうな。そして、子供は、ほふそ、はしかのせんよう。頭い何一つも出けんよう。百姓は、一反に付、米4石、5石までも作り取らせたいとの神の急き込み。
 この世界中に、何にても、神のせん事、構わん事は、更になし。何時、どこから、どんな事を聞くや知れんで。そこで、何を聞いても、さあ、月日の御働きや、と思うよう。これを、真実の者に聞かすよう。
 今は百姓の苗代めと同じ事。籾を蒔いたら、その籾は皆生えるやろうがな。ちょうど、それも同じ事。」
と、お聞かせ下された。

一八五 神的工作
一八八六年(明治十九年)三月十二日,山中忠七和山田伊八郎一齊回到宅院來。
而教祖自櫟本警察分署回來以後,連日來多半在床上休息。當二人向教祖報告回來時,教祖對他們說:
[不知我會到哪裡去,如果我起床,將會妨礙神的工作。(中略)
一個人若活到二百歲、三百歲,都能不生病、不衰弱的話,該有多快樂;而且孩子們也不會染天花、麻疹,頭上也不長任何瘡癤;而神更急於使農人能每一反收割四、五石的米。如今卻一再受到官方的彈壓、因此神非常遺憾。這個遺憾非清楚不可。
這世上得任何事,神無一不為,無一不管。不知何時、何地將聽到任何事。因此無論聽到什麼,都要明白其是月日的全能呀!將這些話,傳達給真誠的信仰者吧!
現在,正和農人的苗圃一樣,只要播下了稻種,一定會發芽吧,現在正是如此。]

メニュー

ばんなぐろ
トップページ

近ごろの会長さん

謝謝台湾

@KENYA

@北極 -web-

About

2013年04月03日 00:09に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「梅花通信109号」です。

次の投稿は「梅花通信111号」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。