« 梅花通信112号 | メイン | 梅花通信114号 »

梅花通信113号

20130526.JPG
 ♪梅花出張所5月月次祭に参拝された皆さん♪

こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
高雄は毎日良いお天気が続いています。
昨日はこの炎天下に野球のコーチに、
そして今度の土曜日は野球大会。
倒れないように頑張ります!
では、
今月の「梅花通信113号」をどうぞ。

梅花出張所通信113号立教176年(2013年)6月30日発行

❍ 日誌
5月26日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、黃美蘭、蔡孟玲、小高祐次、小高由美子、長田万里、高野忠、小村岳児、棚田義行、軽部和彦。(参拝者計11名)

❍ 我曰
 朝、目が覚めた時は「ああ、今日も結構な身体をお貸し与えいただいて、朝が迎えられた」、そして夜、休む時は「ああ、今日も結構な身体を使わせていただいて、一日を過ごすことができた」と感謝の心を持つことがこの信仰です。夫が足の痛みで歩けないと聞いて最初におさづけの取次ぎに行ったのが去年のことでしたが、そのご主人が先日このように話されました。「毎朝5時に起きて、てんりおうのみこと様の名前を唱えながら足を擦っているんです。するとだんだんよくなってくる。」聞きながら、ただただ素晴らしいなあと感じ入っていました。

早上醒來的時候感到[啊,今天也向神借這麼好的身體來能迎接美好的早上哦],而晚上睡覺的時候心想[啊,今天也用到這麼好的身體能過一天了],這樣抱著感謝之心就是信仰。去年有一位學生跟我說[老公的腳痛了不能走路],我馬上去行使神授之理。那位先生前幾天跟我說這番話:[我每天早上五點起床後,一邊念天理歐諾彌格多的神名,一邊輕撫自己的腳。之後漸漸地好起來。]我聽了他的話,惟有深受感動,不勝感嘆。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一九〇 この道は
 明治19年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の念すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、
 「この道は、知恵学問の道やない。来る者に来なと言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。
 このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。

一九○ 本教信仰之道
這是發生於一八八六年(明治十九年)夏天,松村吉太郎回到宅院時的事。有點學問素養的松村,看到當時聚集在宅院裡的人當中,有些沒有學識,有些則舉止動作粗俗不堪,非常不慣,不禁產生了輕蔑之心。有一次他在謁見教祖時,教祖說:
[本教信仰之道,不是探求知識學問之道。來者不拒;也不強求不來者。]
蒙受了這教導的松村,不僅內心對自己的傲慢慚悔不已,並由衷的感銘原地之理的寶貴。

メニュー

ばんなぐろ
トップページ

近ごろの会長さん

謝謝台湾

@KENYA

@北極 -web-

About

2013年06月30日 23:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「梅花通信112号」です。

次の投稿は「梅花通信114号」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。