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2013年07月29日

梅花通信114号

20130630.JPG

♪ 梅花出張所6月月次祭に参拝された皆さん です

みなさん、こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
おぢばでは、こどもおぢばがえりの真最中ですね。
雨が降っていないか天気予報を見ながら心配しています。
それはそうと、あちこちで大雨の被害が出ていますね。
大きな被害にならなければと願っています。
高雄はこの夏、いい天気が続いています。
おかげで、果物が安く、おいしいです!
昨日も参拝のあと、おいしい果物をたくさんいただきました。

それでは、昨日発行しました、梅花通信114号をご覧ください。

梅花出張所通信114号立教176年(2013年)7月28日発行

❍ 日誌
6月30日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、小高裕次、小高由美子、高野忠、小村岳児。(参拝者計6名)

❍ 我曰
 暑い夏となりました。熱中症など暑すぎて死んでしまう人、または大雨などによる自然災害で出直す人が出るなど、異常気象のニュースを耳にするたびに、人間がこの地球の環境を壊していることを想います。この世は神様の体であり、そこに懐住まいをさせていただいていることを考えると、もっともっと謙虚で慎みの心をもって毎日を暮らさないとと強く感じます。

炎熱的夏天到了。每次聽到有人中暑而死、還有因下大雨等自然災害而轉生這種新聞的時候,想到這就是我們人類破壞地球環境之緣故吧。全宇宙是父母神的身體,而我們人類生活在神的懷抱裡,所以我們應該抱著更謙虛又慎重的心來過每天的日子才對吧。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一九一 よう、はるばる
 但馬国田ノ口村の田川寅吉は、明治19年5月5日、村内26戸の人々と共に講を結び、推されてその講元となった。時に17才であった。
 同年8月29日、田川講元外8名は、おぢば帰りのため村を出発、9月1日大阪に着いた。が、その夜、田川は激しい腹痛におそわれ、上げ下だし甚だしく、夜通し苦しんだ。時あたかも、大阪ではコレラ流行の最中である。一同の驚きと心配は一通りではなく、お願い勤めをし、ようやく回復に向かった。そこで、2日未明出発。病躯を押して一行と共に、十三峠を越え、庄屋敷村に到着。その夜、お屋敷から来た辻忠作からおさづけを取次いでもらうと、その夜から、身上の悩みはすっきり御守護頂いた。
 翌3日、一行は、元なるぢばに詣り、次いで、つとめ場所に上がって礼拝し、案内されるままに、御休息所に到り、教祖にお目通りさせて頂いた。教祖は、赤衣を召して端座して居られた。一同に対し、
 「よう、はるばる帰って下された。」
と、勿体ないお言葉を下された。感涙むせんだ田川は、その感激を生涯忘れず、一生懸命たすけ一条の道に努め励んだのである。

一九一 遠道而來
但馬田口村的田川寅吉,在一八八六年(明治十九年)五月五日與村中二十六戶的人們一起結成講社,並被推為講長。當時他才十七歲。
同年八月二十九日,田川講長和其他八個人,為了回原地,由村中出發,於九月一日到達大阪;可是當天夜裡,田川突然肚子痛得厲害,上吐下瀉,折騰了一整夜。當時,大阪正流行霍亂,同行人因此又驚慌、又擔心,於是徹夜進行祈願聖舞,以祈求恢復。好不容易在天快亮時,才逐漸好轉。二日一大早,田川即抱病和同行人一起出發,越過十三嶺到達庄屋敷村。當夜,田川接受由宅院來的辻忠作的神授,結果當夜起,馬上蒙受神祐,疾病的苦痛完全消除了。
隔天,一行人回到原地,先上聖舞堂參拜,然後被帶到休息所,謁見教祖。身穿紅衣的教祖端坐著,並對田川一行人說:
[歡迎你們不辭千里遠道而來。]
這句話讓田川感動得淚流滿面,一生永遠忘記不了當時的感受,從此更是拼命地致力於專心拯救之道。

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