2007年08月28日

8がつのつきなみさい

 昨日(26日)、本部遥拝式をつとめさせていただきましたが、
同時に、当出張所のお祭りもさせていただきました。
高雄の8月は台風などの影響と長居する低気圧のせいで、
雨降りが続き、あちこちで浸水など被害が出てました。
日照りの所や山火事のところに分けてあげたい気持ちでした。
しかし、きのうは雨も降らず、よかったです。
では、きのう付け発行の「通信」をお届けします。

梅花出張所通信45号
立教170年(2007年)8月26日発行

❍ 日誌
7月22日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、林信誠、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝。(計10名)

❍ 我曰
 人は病気になったり、けがをしたりします。この時、これは神様からのメッセージと受け止めることが大切です。神様は何を伝えようとしているのだろうと神様と向き合うことです。いずれにせよ神様は人間が互いにたすけ合って陽気に暮らすことを望まれています。そのことをあらためて確認するチャンスでもあると思います。
人有時會生病,也會受傷。重要的是把這些當做神給人的message,而誠懇地接受。也就是說,面對神聆聽祂要告訴我們的話。儘管如此神一直希望我們人類互相幫助,過康樂生活。或許這時候是能夠重新再確認這一點的好機會。

❍ 天理教實踐的要項
教会
 「みかぐらうた」に、
  どうでもしんじんするならバ かうをむすぼやないかいな (五下り目10)
とあるように、教祖は早くから、「講」を結ぶように促されました。そして、教祖が現身をかくされた翌年、明治21年(1888年)、ぢばに教会本部が設置されたのを契機に、各地に結成されていた講から次々と教会が誕生しました。
 教会には、親神様目標と教祖目標、ならびに歴代会長、ようぼく・信者の霊が祀られます。教会本部と各地の教会は、「息一つのもの」と教えられるように、ぢばの理を戴き、本部を中心として、教会が四方八方に伸び広がるところに世界たすけの御業は進められていきます。
 教会は、親神様の思召を伝え広めるたすけ一条の道場であり、それぞれの地域社会における陽気ぐらしの手本雛型と教えられています。教会に寄り集うようぼくは、常に人をたすける心を培い、実働に励むとともに、信仰の喜びを分かち合い、一手一つにたすけ合って、その実を挙げるよう努めることが大切です。(中略)
 日本国内各地、そして海外にも教会はあり、その数一万七千余に及びます。(後略)
 『ようぼくハンドブック』より
教會
既然信心真且誠 多多節講將世拯 (五段 10)
誠如這首[神樂歌]所唱頌,教祖很早就催促要成立[講社]。在教祖隱去身影的翌年,明治二十一年(一八八八年),以原地建教會本部為契機,各地的講社紛紛成為教會。
教會中奉祀著父母神、教祖以及歷代會長、用木、信者之靈。教會本部與各地的教會,就像教義所說的[同一氣息]般,各地教會是承襲原地之理,並以教會本部為中心,而逐漸發展至四面八方,進行世界拯救的大業。
教會是宣揚父母神意、專心拯救的道場;亦是各地區、社會康樂生活的雛型範本。齊聚在教會的用木,應該隨時培養救人之心,切實展開行動,同時分享信仰的喜悅,力求齊心合一、互相幫助,以展現成果。(中略)
日本國內與世界各地皆有教會,總數計高達一萬七千餘所。(後略)
摘自《新版用木手冊》

2007年07月26日

7月月次祭

22日(日)、今月の月次祭を行いました。
真夏の暑い熱い高雄ですが、
賑やかなお祭りとなりました。
ありがとうございました。

では、同日発行の通信をご覧ください。

梅花出張所通信44号立教170年(2007年)7月22日発行

❍ 日誌
6月24日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益、松崎道孝。(計7名)

❍ 我曰
 2年ほど前からおさづけの取り次ぎと朝夕のおつとめでお願いをさせてもらっている方がいます。その時お会いしたのは、身上を頂いてから半年以上経った時で、痛みが毎日続き、何をする気にもならないようで、仕事も休んでいました。その後、数か月おきにお会いしてきました。そして先日は今までになく明るい顔で、「身体に痛みはあるけど、心は前向きになった。ありがとう。」と話されました。心をたすけていただく姿だと思いました。引き続き更に心を尽くさせてもらおうと心にそう誓いました。

為了有一位受過傷的女性,兩年前開始幫他行使神授。還有在每早晚拜時祈禱病情好轉。兩年前那時候,受傷已經過了半年的時間,每時每刻有疼痛,無法做任何事,也請很久的假。之後見過幾次。前幾天碰面的時候帶著曾經沒有的笑臉出現。她說:[雖然還有痛,但心理好轉,可以往前看了。謝謝。]我覺得她的心靈得救了,我應該繼續更加努力幫助她。如此發誓。

❍ 天理教教義的要項
原典
 親神様じきじきの啓示の書である『おふでさき』『みかぐらうた』『おさしづ』を三原典といい、本教の教義はこれらに基づきます。
 『おふでさき』は、神のやしろとなられた教祖が、自ら筆を執って記された書き物で、十七号、千七百十一首のお歌からなっています。教えの全容が述べられていますが、特につとめの完成を最大の眼目としています。
 『みかぐらうた』は、つとめの地歌として教えられたもので、五節からなり、かぐらの地歌(第一節~第三節)と、てをどりの地歌(第四節=よろづよ八首、および第五節=一下り~十二下り)に分かれます。手振りが付き、特に後者は数え歌になっていることから、最も身近で親しみやすい教えの書でもあります。
 『おさしづ』は、教祖ならびに本席様による口述の教えを筆録したものです。親神様の方からその時々に応じて神意を述べられたものを「刻限のさしづ」、人間の側からの伺いに対して答えられたものを「伺いのさしづ」といいます。
 『ようぼくハンドブック』より

原典
父母神親自啟示的書籍《御筆先》、《神樂歌》、《御指圖》稱為三原典,天理教的教義以此為基礎。
《御筆先》:是成為父母神神龕的教祖,親自執筆寫下之書。全部十七號,共有一千七百十一首的詩歌。其中敘述著教導的全般,特別是聖舞的完成為最大的著眼處。
《神樂歌》:是做為聖舞的地歌而教導之物。全部五節,分成神樂的地歌(第一節~第三節);手舞的地歌(第四節的八首、第五節一段~十二段)兩部份。另配以手勢,尤其是後者,數數兒歌的形式,更讓人感到親近易記而教導的書籍。
《御指圖》:是透過教祖及本席口述的教導,近旁者以筆紀錄之物。以父母神因應必要的時機,講述的神言稱為〈時限御指圖〉;針對人們所請示的事情回答之神言,稱為〈請示御指圖〉。
摘自《新版用木手冊》


2007年06月27日

今月の月次祭(6月)

24日、梅谷大教会の祭典日でしたが、
当出張所も月次祭を行いました。
高雄は夏本番を迎えましたので、
前前日エアコンを買いました。
以下は24日付け通信です。

梅花出張所通信43号
立教170年(2007年)6月24日発行

❍ 日誌
5月27日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、棚田義行、松崎道孝。(計10名)

❍ 我曰
 6月ももうすぐ過ぎようとしています。時が過ぎるのは早く、今年の半分が終わってしまいます。与えられる時間は一日24時間。これは誰も同じです。時を大切に使いたいものです。
6月也快要過去了。時間過得真快,今年過了差不多一半了。我們所能使用的時間是24個小時,任何人都一樣的。應該珍惜時間才對。

❍ 天理教教義的要項
ひのきしん
 親神様のご守護に感謝をささげる自発的な行為が「ひのきしん」です。
 一般的には、寄進は「社寺などに金銭・物品を寄付すること」(『広辞苑』)を意味しますが、
  なにかめずらしつちもちや
  これがきしんとなるならバ  (十一下り目 7)
と、本教では身をもってする神恩報謝の行いをも寄進としてお受け取りくださるところに、ひのきしんの面目があります。
 従って、貧富や老若男女の別なく、真実の心一つでだれにでもできるものです。「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に感じる時、感謝の喜びは、自ずからその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる」(『天理教教典』)とあります。すなわち、ひのきしんは、日々の絶えざる喜びの行いであり、その姿は千種万態です。信仰のままに、感謝の心から、喜び勇んで事に当たるならば、それはことごとくひのきしんとなります。(後略)
 『ようぼくハンドブック』より
聖勞
感謝父母神的祐護,從內心自發性的行為就是[聖勞]。
一般來說,在寺廟奉獻神佛是以金錢、物品為主。
如神樂歌中教導:
運土工作亦珍奇
如是聖勞願效力 (十一段 7)
天理教是以身體行為來報答神恩感謝做為奉獻,如此才是聖勞的真正意義。
因此,不分貧富、男女老幼,只要有誠心不論何人都能夠做得到。如天理教教典裡寫著:[日常無論對於任何事情,當我們深切感到父母神的慈惠時,感謝的喜悅自然就會表現在態度上、行為上。這種表現、就稱為聖勞。]也就是說,聖勞是日日不絕的喜悅行為,表現的方式有各式各樣。出自於自身的信仰、感謝之心,歡喜、踴躍的面對事情,就是聖勞的姿態。(後部省略)
摘自《新版用木手冊》