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2006年10月 アーカイブ

2006年10月24日

秋季大祭

昨日、梅花出張所秋季大祭を執り行いました。
高雄も少し涼しくなった感があります。
でもまだまだ半袖。今月初めには海水浴も楽しめました。
昨日発行の通信です。


梅花出張所通信35号
立教169年(2006年)10月22日発行
❍ 日誌
9月24日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、植田和夫、寺下和樹。(計10名)。
❍ 我曰
 高雄に移り住み、2年余りが過ぎました。ここはとてもいい所です。気候も温暖、食べ物もおいしい、特に果物など。物価もそれほど高くないし、南部の人の人情味は自他共に認めるところ。都会都会していない、のんびりとした空気が流れている、何とも住みよい所です。しかし、来たばかりの頃からずっと残念に思っていることがあります。それは高雄の空です。晴れているのに空が白く曇っているみたい。すっきりと青空が広がることがめったにありません。何とかして「高雄に青空を」広がらせたいと日々考えています・・・。
來到高雄,已經住了兩年多了。我覺得這裡是很棒的地方。氣候溫暖、食物美味、特別是水果。物價也每那麼高,南部人的人情味是人所公認的。並不是大都會,感覺到悠閒自在的氣氛,真是個好生活的地方。但是,我有一點從剛到的時候一直覺得很可惜。那就是高雄的天空。雖然有出太陽,但天空白白好像陰天似的。很少看到清清楚楚的藍天。我天天在想辦法使高雄成為[藍天高雄]‧‧‧。

❍ 天理教教義的要項
用語解説 【かりもの】
 「思うようにならんへというは、かりものの証拠」
(おさしず 明治21年7月28日)
とあるように、病んで初めて身体が自分の思い通りにならないことを知ります。
 「たんへとなに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ」(三 40、135)
「にんけんハみなへ神のかしものや なんとおもふてつこているやら」 (三 41)
との「おふでさき」にうかがえるように、かしもの・かりものの教理の背景には、この世は神の身体という世界観があります。すなわち、神の身体であるこの世の一部をわが身の内としてお借りしているのです。従って、世界と人体は一つの天の摂理に支配されていることになります。
『ようぼくハンドブック』より
用語解說 【借貸之物】
[身乃借物不由己,不由己,乃借物之證](御指圖 明治21年7月28日)
就如御指圖教導似的,一旦生病才了解到身體無法運用自如。
整個宇宙皆身軀 細思則可漸瞭悟 (三 40、135)
人體皆由神貸之 以何心思用此體 (三 41)
就如御筆先的教導,從借貸之物的教理背景,可知這個世界是身軀的世界觀;也就是說,人類借身軀的一部分做為己身而使用。因此,世界與人體都是承受同一個天之理所支配。
摘自《新版用木手冊》

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