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2007年05月 アーカイブ

2007年05月05日

4月の月次祭

本日は5月5日。
日本ではこどもの日。
もう一週間が過ぎますが、
4月29日は、午前にひのきしんデー。
夕刻から月次祭でした。

では、29日付け発行の「通信」です。


梅花出張所通信41号
立教170年(2007年)4月29日発行

❍ 日誌
3月25日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、植田和夫、松崎道孝。(計9名)

❍ 我曰
 去年ある方におさずけを取り次がせていただきました。体の具合が悪く、仕事もしばらく休んでいました。おさづけの前に、「親神様のお名前は『天理王命』とおっしゃるので、心に『南無天理王命』と唱えてください」とお話しました。そして取り次いだ後で、「感謝の心、喜びの心を忘れないように、毎日『南無天理王命』と唱えられるといいですよ」とつけ加えました。その後、少しして体調もよくなり仕事も徐々に再開し始めたと聞いていました。その方が最近次のように話してくれたのです。「あれ以来、毎朝目が覚めると『南無天理王命』と唱えるようにしているんです。その後何度か病院で検査を受けましたが、不思議と結果は良好なんですよ」と。本当に嬉しい一言でした。
去年有一次我幫有一個人行使神授。那時因他身體不好,休職一陣子。行使前,我對他說:[父母神的神名是《天理歐諾彌格多》,請唸到祂的名字。]接著說:[為了不要忘記感謝與喜悅之心,最好每天唸到神名。之後,過了一陣子聽說他的身體好起來,工作也慢慢再開。最近他對我說這番話。[從那以後,每天早上一定唸著《天理歐諾彌格多》,之後果然醫院的檢查結果都沒問題了。]我聽了這句話,感到非常高興。

❍ 天理教教義的要項
いんねん
 元来は仏教用語で、直接的原因(因)と間接的条件(縁)との組み合わせによって、さまざまの結果(果)を生起することを意味します。
 「おふでさき」では専ら、「元のいんねん」の意味で使われています。すなわち、親神様が陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと、元のぢばにおいて人間を創造されたという元初まりに由来するいんねんです。
 「天理教教典」では、また、「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」と、厳然たる因果律の存在が述べられています。いんねんは今生一代にとどまらず、末代の理である魂に刻まれて、来生へと受け継がれるものでもあります。
 ただし、本教でいういんねんには、仏教などでいう因果応報とは違い、その奥に陽気ぐらしへと導こうとされる子供かわいい親心があることを忘れてはなりません。
 『ようぼくハンドブック』より
因緣
這一句話本來是佛教用語,直接的原因[因]與間接的條件[緣]的組合,進而造成種種的結果[果]之意思。
[御筆先]裡專指著[元始因緣]之意使用。也就是說,父母神為要使人類過著康樂生活,與人類共享快樂,而於元始原地創造人類之創世由來的因緣而言。
《天理教教典》之中也有著[有時會播下善種,也有時會播下惡種。所以行善就會顯現出善果,性惡就會顯現出惡果。]將敘述儼然不變的存在的因果戒律。因緣不只限於今生一世而已,將深刻於永世之理的靈魂,帶至來世繼承下去。
然而,天理教所說的因緣,與佛教等的因果報應的說法不同。這是在其深處蘊含著引導人們過著康樂生活,疼愛子女的偉大慈心,這一點不得忘記。
摘自《新版用木手冊》

2007年05月29日

5月月次祭でした

昨日(27日)はお祭り日。
結構につとめさせてもらいました。

昨日付けの『通信』です。

梅花出張所通信42号
立教170年(2007年)5月27日発行

❍ 日誌
4月29日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝。(計8名)

❍ 我曰
 私達が所属する北海道の教会、花畔分教会では、NGO団体「echo」を立ち上げ、アフリカ・ケニヤ支援を行っています。弟がその中心となってケニヤに滞在していますが、昨年から始めている植林事業についての報告が入りました。昨年末に植えた種が現在1500本の苗木に育ち、これらを近隣の60もの学校の敷地内や生徒の家などに植えてもらう準備を進めているということです。活動が益々広がり嬉しく思うと同時に、一会員としてこちらからも何とかサポートしなくてはと考えています。あなたも「echo」の会員になりませんか?
我們所屬的教會就是位於北海道的花畔分教會。本教會有非政府組織 (Non-Government Organization)名叫[echo]進行對非洲的肯亞支援。我弟弟現在住在肯亞,支援活動是以他為中心進行。最近有關於植樹造林計劃的報告說:去年年底播的種子現在已經長到1500根樹苗了,正在準備發給近鄰的60所學校的校園或學生家。看到活動越來越擴大感到高興,同時因為我本身也是一個會員的立場,所以在想用什麼辦法能幫助相關的活動。您也當[echo]的會員,一起支援,好不好?

❍ 天理教教義的要項
たんのう
 「たんのう」の原義は足りているということだとされています。つまり、満足したという心の状態です。
 苦しい状況の中でたんのうするとは、単に歯を食いしばって我慢したり、泣く泣く辛抱することではありません。これで結構、ありがたいと前向きに受け止め、心を励まして踏ん張ることです。また、そこに運命の切り換わる道が開けてくるのです。従って、たんのうはあきらめの心情ではありません。悪い状態を無気力に受容することでもありません。
 「たんのうは前生いんねんのさんげ」とのお言葉にうかがえるように、成ってきた事柄を、成るべくして成ったものと受け止め、その因ってくるところを思案し、芳しくない運命が切り換わるよう、理づくり、努力することを決意することです。
 『ようぼくハンドブック』より
樂從
[樂從]日文原義本來是指著知足的意思而言,也就是說內心滿足的狀態。
在痛苦的情境下力行樂從,並不是咬緊牙根忍耐或不情願的承受,而是要放開心胸,以喜悅與感謝的心態接受,激勵自己往前邁進,如此就能打開改換命運之道。因此,樂從並非不得已而放棄的心境,也不是死心無奈的順從。
就如教義中所言[樂從即前生因緣之懺悔],將所發生的事情,當做應有的結果來接受,從其中思考原因,然後下決心改換不好的命運而努力積德才是。
摘自《新版用木手冊》

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