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2007年06月 アーカイブ

2007年06月27日

今月の月次祭(6月)

24日、梅谷大教会の祭典日でしたが、
当出張所も月次祭を行いました。
高雄は夏本番を迎えましたので、
前前日エアコンを買いました。
以下は24日付け通信です。

梅花出張所通信43号
立教170年(2007年)6月24日発行

❍ 日誌
5月27日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、棚田義行、松崎道孝。(計10名)

❍ 我曰
 6月ももうすぐ過ぎようとしています。時が過ぎるのは早く、今年の半分が終わってしまいます。与えられる時間は一日24時間。これは誰も同じです。時を大切に使いたいものです。
6月也快要過去了。時間過得真快,今年過了差不多一半了。我們所能使用的時間是24個小時,任何人都一樣的。應該珍惜時間才對。

❍ 天理教教義的要項
ひのきしん
 親神様のご守護に感謝をささげる自発的な行為が「ひのきしん」です。
 一般的には、寄進は「社寺などに金銭・物品を寄付すること」(『広辞苑』)を意味しますが、
  なにかめずらしつちもちや
  これがきしんとなるならバ  (十一下り目 7)
と、本教では身をもってする神恩報謝の行いをも寄進としてお受け取りくださるところに、ひのきしんの面目があります。
 従って、貧富や老若男女の別なく、真実の心一つでだれにでもできるものです。「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に感じる時、感謝の喜びは、自ずからその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる」(『天理教教典』)とあります。すなわち、ひのきしんは、日々の絶えざる喜びの行いであり、その姿は千種万態です。信仰のままに、感謝の心から、喜び勇んで事に当たるならば、それはことごとくひのきしんとなります。(後略)
 『ようぼくハンドブック』より
聖勞
感謝父母神的祐護,從內心自發性的行為就是[聖勞]。
一般來說,在寺廟奉獻神佛是以金錢、物品為主。
如神樂歌中教導:
運土工作亦珍奇
如是聖勞願效力 (十一段 7)
天理教是以身體行為來報答神恩感謝做為奉獻,如此才是聖勞的真正意義。
因此,不分貧富、男女老幼,只要有誠心不論何人都能夠做得到。如天理教教典裡寫著:[日常無論對於任何事情,當我們深切感到父母神的慈惠時,感謝的喜悅自然就會表現在態度上、行為上。這種表現、就稱為聖勞。]也就是說,聖勞是日日不絕的喜悅行為,表現的方式有各式各樣。出自於自身的信仰、感謝之心,歡喜、踴躍的面對事情,就是聖勞的姿態。(後部省略)
摘自《新版用木手冊》

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