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      <title>謝謝台湾</title>
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
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         <title>8がつのつきなみさい</title>
         <description>　昨日（２６日）、本部遥拝式をつとめさせていただきましたが、
同時に、当出張所のお祭りもさせていただきました。
高雄の８月は台風などの影響と長居する低気圧のせいで、
雨降りが続き、あちこちで浸水など被害が出てました。
日照りの所や山火事のところに分けてあげたい気持ちでした。
しかし、きのうは雨も降らず、よかったです。
では、きのう付け発行の「通信」をお届けします。

梅花出張所通信45号
立教170年（2007年）8月26日発行

❍　日誌
7月22日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、林信誠、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝。（計10名）

❍　我曰
　人は病気になったり、けがをしたりします。この時、これは神様からのメッセージと受け止めることが大切です。神様は何を伝えようとしているのだろうと神様と向き合うことです。いずれにせよ神様は人間が互いにたすけ合って陽気に暮らすことを望まれています。そのことをあらためて確認するチャンスでもあると思います。
    人有時會生病，也會受傷。重要的是把這些當做神給人的message，而誠懇地接受。也就是說，面對神聆聽祂要告訴我們的話。儘管如此神一直希望我們人類互相幫助，過康樂生活。或許這時候是能夠重新再確認這一點的好機會。

❍　天理教實踐的要項
教会
　「みかぐらうた」に、
　　どうでもしんじんするならバ　かうをむすぼやないかいな　（五下り目10）
とあるように、教祖は早くから、「講」を結ぶように促されました。そして、教祖が現身をかくされた翌年、明治21年（1888年）、ぢばに教会本部が設置されたのを契機に、各地に結成されていた講から次々と教会が誕生しました。
　教会には、親神様目標と教祖目標、ならびに歴代会長、ようぼく・信者の霊が祀られます。教会本部と各地の教会は、「息一つのもの」と教えられるように、ぢばの理を戴き、本部を中心として、教会が四方八方に伸び広がるところに世界たすけの御業は進められていきます。
　教会は、親神様の思召を伝え広めるたすけ一条の道場であり、それぞれの地域社会における陽気ぐらしの手本雛型と教えられています。教会に寄り集うようぼくは、常に人をたすける心を培い、実働に励むとともに、信仰の喜びを分かち合い、一手一つにたすけ合って、その実を挙げるよう努めることが大切です。（中略）
　日本国内各地、そして海外にも教会はあり、その数一万七千余に及びます。（後略）
　『ようぼくハンドブック』より
教會
      既然信心真且誠  多多節講將世拯  （五段 10）
    誠如這首［神樂歌］所唱頌，教祖很早就催促要成立［講社］。在教祖隱去身影的翌年，明治二十一年（一八八八年），以原地建教會本部為契機，各地的講社紛紛成為教會。
    教會中奉祀著父母神、教祖以及歷代會長、用木、信者之靈。教會本部與各地的教會，就像教義所說的［同一氣息］般，各地教會是承襲原地之理，並以教會本部為中心，而逐漸發展至四面八方，進行世界拯救的大業。
    教會是宣揚父母神意、專心拯救的道場；亦是各地區、社會康樂生活的雛型範本。齊聚在教會的用木，應該隨時培養救人之心，切實展開行動，同時分享信仰的喜悅，力求齊心合一、互相幫助，以展現成果。（中略）
    日本國內與世界各地皆有教會，總數計高達一萬七千餘所。（後略）
摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/08/8.html</link>
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         <pubDate>Tue, 28 Aug 2007 01:15:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>7月月次祭</title>
         <description><![CDATA[２２日（日）、今月の月次祭を行いました。
真夏の暑い熱い高雄ですが、
賑やかなお祭りとなりました。
ありがとうございました。

では、同日発行の通信をご覧ください。

<strong>梅花出張所通信44号</strong>立教170年（2007年）7月22日発行

❍　日誌
6月24日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益、松崎道孝。（計7名）

❍　我曰
　２年ほど前からおさづけの取り次ぎと朝夕のおつとめでお願いをさせてもらっている方がいます。その時お会いしたのは、身上を頂いてから半年以上経った時で、痛みが毎日続き、何をする気にもならないようで、仕事も休んでいました。その後、数か月おきにお会いしてきました。そして先日は今までになく明るい顔で、「身体に痛みはあるけど、心は前向きになった。ありがとう。」と話されました。心をたすけていただく姿だと思いました。引き続き更に心を尽くさせてもらおうと心にそう誓いました。

    為了有一位受過傷的女性，兩年前開始幫他行使神授。還有在每早晚拜時祈禱病情好轉。兩年前那時候，受傷已經過了半年的時間，每時每刻有疼痛，無法做任何事，也請很久的假。之後見過幾次。前幾天碰面的時候帶著曾經沒有的笑臉出現。她說：［雖然還有痛，但心理好轉，可以往前看了。謝謝。］我覺得她的心靈得救了，我應該繼續更加努力幫助她。如此發誓。

❍　天理教教義的要項
原典
　親神様じきじきの啓示の書である『おふでさき』『みかぐらうた』『おさしづ』を三原典といい、本教の教義はこれらに基づきます。
　『おふでさき』は、神のやしろとなられた教祖が、自ら筆を執って記された書き物で、十七号、千七百十一首のお歌からなっています。教えの全容が述べられていますが、特につとめの完成を最大の眼目としています。
　『みかぐらうた』は、つとめの地歌として教えられたもので、五節からなり、かぐらの地歌（第一節～第三節）と、てをどりの地歌（第四節＝よろづよ八首、および第五節＝一下り～十二下り）に分かれます。手振りが付き、特に後者は数え歌になっていることから、最も身近で親しみやすい教えの書でもあります。
　『おさしづ』は、教祖ならびに本席様による口述の教えを筆録したものです。親神様の方からその時々に応じて神意を述べられたものを「刻限のさしづ」、人間の側からの伺いに対して答えられたものを「伺いのさしづ」といいます。
　『ようぼくハンドブック』より

原典
    父母神親自啟示的書籍《御筆先》、《神樂歌》、《御指圖》稱為三原典，天理教的教義以此為基礎。
    《御筆先》：是成為父母神神龕的教祖，親自執筆寫下之書。全部十七號，共有一千七百十一首的詩歌。其中敘述著教導的全般，特別是聖舞的完成為最大的著眼處。
    《神樂歌》：是做為聖舞的地歌而教導之物。全部五節，分成神樂的地歌（第一節～第三節）；手舞的地歌（第四節的八首、第五節一段～十二段）兩部份。另配以手勢，尤其是後者，數數兒歌的形式，更讓人感到親近易記而教導的書籍。
    《御指圖》：是透過教祖及本席口述的教導，近旁者以筆紀錄之物。以父母神因應必要的時機，講述的神言稱為〈時限御指圖〉；針對人們所請示的事情回答之神言，稱為〈請示御指圖〉。
  摘自《新版用木手冊》


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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/07/7_1.html</link>
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         <pubDate>Thu, 26 Jul 2007 00:54:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今月の月次祭（６月）</title>
         <description>２４日、梅谷大教会の祭典日でしたが、
当出張所も月次祭を行いました。
高雄は夏本番を迎えましたので、
前前日エアコンを買いました。
以下は２４日付け通信です。

梅花出張所通信43号
立教170年（2007年）6月24日発行

❍　日誌
5月27日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、棚田義行、松崎道孝。（計10名）

❍　我曰
　6月ももうすぐ過ぎようとしています。時が過ぎるのは早く、今年の半分が終わってしまいます。与えられる時間は一日24時間。これは誰も同じです。時を大切に使いたいものです。
    6月也快要過去了。時間過得真快，今年過了差不多一半了。我們所能使用的時間是24個小時，任何人都一樣的。應該珍惜時間才對。

❍　天理教教義的要項
ひのきしん
　親神様のご守護に感謝をささげる自発的な行為が「ひのきしん」です。
　一般的には、寄進は「社寺などに金銭・物品を寄付すること」（『広辞苑』）を意味しますが、
　　なにかめずらしつちもちや
　　これがきしんとなるならバ　　（十一下り目　７）
と、本教では身をもってする神恩報謝の行いをも寄進としてお受け取りくださるところに、ひのきしんの面目があります。
　従って、貧富や老若男女の別なく、真実の心一つでだれにでもできるものです。「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に感じる時、感謝の喜びは、自ずからその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる」（『天理教教典』）とあります。すなわち、ひのきしんは、日々の絶えざる喜びの行いであり、その姿は千種万態です。信仰のままに、感謝の心から、喜び勇んで事に当たるならば、それはことごとくひのきしんとなります。（後略）
　『ようぼくハンドブック』より
聖勞
    感謝父母神的祐護，從內心自發性的行為就是［聖勞］。
    一般來說，在寺廟奉獻神佛是以金錢、物品為主。
    如神樂歌中教導：
        運土工作亦珍奇
        如是聖勞願效力        （十一段 7）
    天理教是以身體行為來報答神恩感謝做為奉獻，如此才是聖勞的真正意義。
    因此，不分貧富、男女老幼，只要有誠心不論何人都能夠做得到。如天理教教典裡寫著：［日常無論對於任何事情，當我們深切感到父母神的慈惠時，感謝的喜悅自然就會表現在態度上、行為上。這種表現、就稱為聖勞。］也就是說，聖勞是日日不絕的喜悅行為，表現的方式有各式各樣。出自於自身的信仰、感謝之心，歡喜、踴躍的面對事情，就是聖勞的姿態。(後部省略)
  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/06/post_22.html</link>
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         <pubDate>Wed, 27 Jun 2007 00:37:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>５月月次祭でした</title>
         <description>昨日（２７日）はお祭り日。
結構につとめさせてもらいました。

昨日付けの『通信』です。

梅花出張所通信42号
立教170年（2007年）5月27日発行

❍　日誌
4月2９日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝。（計8名）

❍　我曰
　私達が所属する北海道の教会、花畔分教会では、NGO団体「echo」を立ち上げ、アフリカ・ケニヤ支援を行っています。弟がその中心となってケニヤに滞在していますが、昨年から始めている植林事業についての報告が入りました。昨年末に植えた種が現在1500本の苗木に育ち、これらを近隣の60もの学校の敷地内や生徒の家などに植えてもらう準備を進めているということです。活動が益々広がり嬉しく思うと同時に、一会員としてこちらからも何とかサポートしなくてはと考えています。あなたも「echo」の会員になりませんか？
    我們所屬的教會就是位於北海道的花畔分教會。本教會有非政府組織 (Non-Government Organization)名叫［echo］進行對非洲的肯亞支援。我弟弟現在住在肯亞，支援活動是以他為中心進行。最近有關於植樹造林計劃的報告說：去年年底播的種子現在已經長到1500根樹苗了，正在準備發給近鄰的60所學校的校園或學生家。看到活動越來越擴大感到高興，同時因為我本身也是一個會員的立場，所以在想用什麼辦法能幫助相關的活動。您也當［echo］的會員，一起支援，好不好？

❍　天理教教義的要項
たんのう
　「たんのう」の原義は足りているということだとされています。つまり、満足したという心の状態です。
　苦しい状況の中でたんのうするとは、単に歯を食いしばって我慢したり、泣く泣く辛抱することではありません。これで結構、ありがたいと前向きに受け止め、心を励まして踏ん張ることです。また、そこに運命の切り換わる道が開けてくるのです。従って、たんのうはあきらめの心情ではありません。悪い状態を無気力に受容することでもありません。
　「たんのうは前生いんねんのさんげ」とのお言葉にうかがえるように、成ってきた事柄を、成るべくして成ったものと受け止め、その因ってくるところを思案し、芳しくない運命が切り換わるよう、理づくり、努力することを決意することです。
　『ようぼくハンドブック』より
樂從
    ［樂從］日文原義本來是指著知足的意思而言，也就是說內心滿足的狀態。
    在痛苦的情境下力行樂從，並不是咬緊牙根忍耐或不情願的承受，而是要放開心胸，以喜悅與感謝的心態接受，激勵自己往前邁進，如此就能打開改換命運之道。因此，樂從並非不得已而放棄的心境，也不是死心無奈的順從。
    就如教義中所言［樂從即前生因緣之懺悔］，將所發生的事情，當做應有的結果來接受，從其中思考原因，然後下決心改換不好的命運而努力積德才是。
  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/05/post_21.html</link>
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         <pubDate>Tue, 29 May 2007 01:00:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>4月の月次祭</title>
         <description>本日は５月５日。
日本ではこどもの日。
もう一週間が過ぎますが、
４月２９日は、午前にひのきしんデー。
夕刻から月次祭でした。

では、２９日付け発行の「通信」です。


梅花出張所通信41号
立教170年（2007年）4月29日発行

❍　日誌
3月25日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、植田和夫、松崎道孝。（計９名）

❍　我曰
　去年ある方におさずけを取り次がせていただきました。体の具合が悪く、仕事もしばらく休んでいました。おさづけの前に、「親神様のお名前は『天理王命』とおっしゃるので、心に『南無天理王命』と唱えてください」とお話しました。そして取り次いだ後で、「感謝の心、喜びの心を忘れないように、毎日『南無天理王命』と唱えられるといいですよ」とつけ加えました。その後、少しして体調もよくなり仕事も徐々に再開し始めたと聞いていました。その方が最近次のように話してくれたのです。「あれ以来、毎朝目が覚めると『南無天理王命』と唱えるようにしているんです。その後何度か病院で検査を受けましたが、不思議と結果は良好なんですよ」と。本当に嬉しい一言でした。
    去年有一次我幫有一個人行使神授。那時因他身體不好，休職一陣子。行使前，我對他說：［父母神的神名是《天理歐諾彌格多》，請唸到祂的名字。］接著說：［為了不要忘記感謝與喜悅之心，最好每天唸到神名。之後，過了一陣子聽說他的身體好起來，工作也慢慢再開。最近他對我說這番話。［從那以後，每天早上一定唸著《天理歐諾彌格多》，之後果然醫院的檢查結果都沒問題了。］我聽了這句話，感到非常高興。

❍　天理教教義的要項
いんねん
　元来は仏教用語で、直接的原因（因）と間接的条件（縁）との組み合わせによって、さまざまの結果（果）を生起することを意味します。
　「おふでさき」では専ら、「元のいんねん」の意味で使われています。すなわち、親神様が陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと、元のぢばにおいて人間を創造されたという元初まりに由来するいんねんです。
　「天理教教典」では、また、「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」と、厳然たる因果律の存在が述べられています。いんねんは今生一代にとどまらず、末代の理である魂に刻まれて、来生へと受け継がれるものでもあります。
　ただし、本教でいういんねんには、仏教などでいう因果応報とは違い、その奥に陽気ぐらしへと導こうとされる子供かわいい親心があることを忘れてはなりません。
　『ようぼくハンドブック』より
因緣
    這一句話本來是佛教用語，直接的原因［因］與間接的條件［緣］的組合，進而造成種種的結果［果］之意思。
    ［御筆先］裡專指著［元始因緣］之意使用。也就是說，父母神為要使人類過著康樂生活，與人類共享快樂，而於元始原地創造人類之創世由來的因緣而言。
《天理教教典》之中也有著［有時會播下善種，也有時會播下惡種。所以行善就會顯現出善果，性惡就會顯現出惡果。］將敘述儼然不變的存在的因果戒律。因緣不只限於今生一世而已，將深刻於永世之理的靈魂，帶至來世繼承下去。
    然而，天理教所說的因緣，與佛教等的因果報應的說法不同。這是在其深處蘊含著引導人們過著康樂生活，疼愛子女的偉大慈心，這一點不得忘記。
  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/05/4.html</link>
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         <pubDate>Sat, 05 May 2007 16:22:28 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>3月月次祭</title>
         <description>きのう３月２５日は梅花出張所３月月次祭でした。
きのう付けの通信です。

梅花出張所通信40号
立教170年（2007年）3月25日発行

❍　日誌
2月25日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝。（計９名）

❍　我曰
　佐藤素成が小学校を卒業しました。来月からは中学生です。卒業式に出席し、時の経つのははやいものだなあと、しみじみ思いました。来年はなおりの番、再来年は日々喜。その次は、また素成と。一体いつまで続くのか・・・。
    佐藤素成小學畢業了。下個月就要當國中生了。我也參加了畢業典禮，感慨感受到時間過得真快。到了明年就換直理，後年就輪到日日喜。再來又換素成了？到底會繼續到何時呢‧‧‧？

❍　天理教教義的要項
生命のバトンタッチ
　一般的には、誕生はめでたく、死は何か暗い、忌まわしいものと考えがちですが、本教では「出直し」「生まれ替わり」と教えられます。
　死は、それで終わり、それっきりというようなものではなく、生まれ替わり、つまり再生のための節目、出発点であるということです。
　少し考えてみれば分かることですが、死がなければ誕生もあり得ません。死ぬ者がなくて生まれる者ばかりであったら、たちまち地球は人であふれかえってしまいます。そう考えますと、誕生と死は一つのものであり、切り離すことのできないものであることが分かります。
　連綿と続く生命の営み、命のサイクルの節目を言い表す「出直し」「生まれ替わり」。その言葉自体に、死というものが終わりではなく、再生へのスタートであり、誕生が単なる生命の始まりではなく、前生よりの命を引き継いでいるものであることが含意されています。大きな生命の流れの中でのバトンタッチを繰り返しながら、陽気ぐらしへの歩みが進められるのです。
　『ようぼくハンドブック』より
生命的傳承
    一般人總認為誕生是值得慶幸，死亡是悲傷、不祥的。而在天理教則教導為[轉生]、[轉世再生]。
    也就是說，死亡並不是結束，或就此了結，而是轉世再生，是再生的一個階段、出發點。
    稍做思考即可了解，有死亡才有新生命的誕生。若光只誕生，沒有往生者的話，這個世界在一瞬間就擠滿了人潮無立身之地。因此，可以了解到誕生與死亡是一體兩面之物。
    連綿不斷的生命傳承，表現生命週期的就是[轉生]、[轉世再生]。這在語義上，就表明死亡並不是結束，而是面向再生的出發。誕生並不只是生命的開始而已，其中包含著繼承前世的生命之意。在偉大的生命洪流之中，持續不斷的生命傳承下，步向康樂生活。
  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/03/3.html</link>
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         <pubDate>Mon, 26 Mar 2007 13:24:34 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>2月月次祭でした</title>
         <description>２５日は梅花出張所の２月月次祭でした。
温かい陽気で、結構でした。
高雄はもう春です。そしてすぐ夏になる・・・

以下は同日発行の通信です。

梅花出張所通信39号
立教170年（2007年）2月25日発行

❍　日誌
1月25日　梅花出張所春季大祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳。（計8名）

❍　我曰
　高雄の川と言えば、「愛河」です。では、高雄の山と言えば・・・？そう、「寿山」です。日本時代に高雄神社（現在の忠烈祠）が建てられたことはよく知られていますが、この春節休みに、家族で寿山山頂を目指しました。山登りは、とてもいい経験です。道中目に入る木々や植物の緑。鳥や動物、昆虫などにも出会えます。しかしやはり辛く苦しい登り坂、それを登りきり、頂上に到達した時の爽快感。普段の生活にもなぞらえることができそうです。また、だれ彼の区別なく他の登山客と挨拶を交わすことができるのも嬉しいです。その日、山頂で持参したおにぎりを食べている時、後から来た家族連れと少し話をし、別れ際に女の子が「新年快楽！」と笑顔で言ってくれました。すごく温かく何とも言えない嬉しい気持ちになりました。では、皆さんにもこの気持ちをお分けして、「祝大家新年快楽！」
    高雄的河流就是［愛河］。那麼，高雄的山呢？那是［壽山］。眾所周知，日本時代在壽山建立高雄神社（現忠烈祠）。我們一家利用這春節假期登壽山。登山是個好經驗。爬山中途可以看到森林植物的綠色。也會碰到動物、鳥類、昆蟲等。但還是爬很陡的山坡很辛苦。然而達到山頂時感受到非常爽快。平常的生活好像可以比作登山。而且，在途中無論對象是任何人互相打招呼也讓人很開心。那天在山頂吃飯團的時候，跟有一家登山家族聊天。他們下山時其中有一個女孩子對我們說：［新年快樂！］讓我覺得溫馨，而且非常高興。現在請大家分享我的高興，我衷心祝你新年快樂!!

❍　天理教教義的要項
出直し・生まれ替わり
　天理教では、人の死を「出直し」といいます。親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることを指します。
　出直しの語は元来、「最初からもう一度やり直すこと」を意味することからも察せられるように、死は再生の契機であり、それぞれの魂に応じて、また新しい身体を借りてこの世に帰ってくる「生まれ替わり」のための出発点であることが含まれています。
　前世までの心の道であるいんねんを刻んだ魂は、新しい身体を借りて蘇り、今生の心遣いによる変容を受け、出直し生まれ替わりを経て、また来世へと生まれ出ます。
　『ようぼくハンドブック』より
轉生‧轉世再生
    天理教將人的死亡稱為［轉生］。是指歸還［借貸之物］的身體之意思。
    ［轉生］日文的原文為［出直］，由日文的原意［重新再來一次］可以知道；死亡是重生的契機，因為各自靈魂，再借新的身體回來世間。這包含著為了［轉世再生］之意。
    前世心念所形成之因緣銘刻在靈魂，再借新的身體重生，並由今生心念累積改變轉生而反覆帶至來生。
  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/02/2_1.html</link>
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         <pubDate>Tue, 27 Feb 2007 02:34:25 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>春季大祭でした</title>
         <description>本日２８日は梅花出張所の春季大祭でした。
３名の方が参拝に来てくれました。

本日発行の通信です。

梅花出張所通信38号
立教170年（2007年）1月25日発行

❍　日誌
12月1７日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、許廣益。（計6名）。

❍　我曰
　おつとめはとても大切です。121年前のこの月に姿を隠された教祖中山みき様が、115歳の定命を25年縮めてまでも急き込まれたのです。さて、おつとめの時、手を合わせ、神様に向き合い、どのように祈りましょうか。忘れてはいけないのは、まず感謝。お礼を述べましょう。そして、自分のため、周りの人のため、世界のために祈りましょう。この世の中の争いごとと病気の根を切って頂けますように。
    聖舞是非常重要的。121年前的元月教祖中山美伎將115歲的定壽縮短25年，隱去了身影。那是因為急著促使人們奉行聖舞的。我們參拜時，合上雙手，面對神，該如何祈禱好呢？不可忘記的是感謝心。首先向神道謝才是。接著，為了自己和自己周圍的人，還為了世界祈禱。我們一同祈求將世界上的爭鬥及疾病的根源解決排除吧。

❍　天理教教義的要項
八つのほこり（後半）
うらみ：体面を傷つけた、望みを妨げた、どう言ったと自分の不徳を思わず、人を恨み、根に持つような心。
はらだち：人が悪いことを言った、意に反することをしたと腹を立てる。理を立てず、我を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないで腹を立てるような心。
よく：人より多く身につけたい、取れるだけ取りたいという心。数量をごまかし、人を欺して利をかすめ、あるいは盗み、取り込むなど、何によらず人の物をただわが身につけるのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲。
こうまん：力もないのに自惚れ、威張り、富や地位をかさに着て人を見下し、踏みつけにする。また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは知らないことを知ったふりをするような心。
　『ようぼくハンドブック』より
八種灰塵（后一半）
怨恨：譬如自己覺得沒有面子，認為人家阻礙了自己的願望，或者說了什麼等等，根本不肯檢討自己不妥之處，反而懷恨別人的存心。
氣憤：認為別人說了自己的壞話，或者做的事不合自己的意思而生氣，凡事不講理，而固執己見，不肯傾聽別人的意見，動不動就生氣的存心。
私慾：想要自己擁有的比別人多，貪婪地要將東西佔為己有的存心。偷斤減兩、騙錢、偷盜、侵佔等等，凡事想要奪取別人的東西佔為己有是貪欲。另外迷於色情是色慾。
驕傲：自己沒有能力還自高自大、擺架子，靠財富或地位來看不起、欺凌人，或是自以為聰明而輕視人，專挑別人的缺點，或連不知道的事也裝做知道等這些存心。
  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2007/01/post_20.html</link>
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         <pubDate>Sun, 28 Jan 2007 23:42:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>おさめの月次祭</title>
         <description>本年おさめの月次祭を１７日に執り行いました。
参拝者は、家族5人＋1人。
けっこうなお祭りでした。
では、今年最後の「通信」です。

梅花出張所通信37号
立教169年（2006年）12月17日発行

❍　日誌
11月19日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、黃俐綾、植田和夫、松崎道孝、寺下和樹、井上慶美。（計11名）。

❍　我曰
　今年ももうすぐ過ぎていきます。教祖中山みき様が現身をお隠しになりちょうど120年の年でした。そして、当梅花出張所が開設してからちょうど10年の年でもありました。今年の1月から月次祭の参拝を呼びかけ、本通信の発行も再開し、8年前に台北を離れてから途絶えていたこの二つが復元した形となりました。なんとか軌道に乗りつつあり、ありがたく感謝しております。
    今年也快要過去了。今年是教祖120年祭的一年，就是教祖中山美伎隱去了身影後剛好120年了。另外，今年是梅花10週年，就是本梅花出張所開設了剛好10年了。今年一月開始呼籲前來參拜月次祭，再開始本通訊發行。這兩點是八年前離開台北後中斷的。終於能夠復元了，值得非常感謝。

❍　天理教教義的要項
八つのほこり
をしい：心の働き、身の働きを惜しみ、税金や納めるべき物を惜しむ。また、世のため、人のため相応の務めを欠き、あるいは、借りた物を返すのを惜しんだり、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。
ほしい：努力を怠り、十分な働きもしないで金銭を欲しがり、分不相応に良い物を着たい、食べたい、また、何によらず、あるがうえにも欲しいという心。
にくい：人の助言や忠告をかえって悪く取ってその人を憎む。また、嫁姑など身内同士の憎み合い。さらには、人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは、罪を憎まず人を憎むという心。
かわい：自分さえ良ければ人はどうでもよい。わが子への愛に引かされて食べ物、着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも注意しないで、気ままにさせておくという心。また自分のために人を悪く言うのもほこり。
（以下次号に続く）　『ようぼくハンドブック』より
八種灰塵
吝惜：懶得為人勞心勞力，該繳的稅或東西不肯繳，也不肯為社會應盡的義務，還有，借了別人的東西捨不得歸還，不想做的事叫別人做，只顧自己輕鬆度過的存心。
貪心：不肯盡心盡力，只顧貪圖金錢，忘了自己的本份，只想錦衣玉食，凡事雖不短缺，卻還要奢求貪多的存心。
憎惡：對於別人的好意相勸不但不聽，反而還誤會、厭惡人家，還有，像婆媳不和等自家人互相憎恨，以及在背後說人家的壞話、嘲笑人家，不去追究錯誤的原因，反而厭惡別人的存心。
偏愛：只顧自己不管別人，只知道溺愛自己的孩子，對於吃穿都任孩子挑選，不好好施以家教，對不良行為也不加以規勸，任憑孩子隨心所欲的存心。另外，為了自己而隨便批判別人也是灰塵。
(以下後續下集)  摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2006/12/post_19.html</link>
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         <pubDate>Tue, 19 Dec 2006 17:00:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>11月月次祭</title>
         <description>１９日（日）に今月のお祭りを行いました。
涼しくなってきた高雄は、過ごしやすい毎日です。
以下は、今月の通信です。

梅花出張所通信36号
立教169年（2006年）11月19日発行

❍　日誌
10月22日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、廖秋景、植田和夫、寺下和樹。（計9名）。

❍　我曰
　にちへにをやのしやんとゆうものわ　たすけるもよふばかりをもてる（おふでさき十四35）と仰せくださる。人をたすける心の涵養と実践で、この果てしない親心にお応えせねば・・・。
    御筆先諭示：日夜父母所關心 只欲準備拯世人(十四35)
為了回報此無限的父母慈心，本身要培育救人之心並力求實踐•••。

❍　天理教教義的要項
ほこり
　親神様の思召に沿わない心遣いを「ほこり」にたとえてお諭しくださいます。ほこりは吹けば飛ぶような些細なものですが、油断をしているといつの間にか積もり重なり、ついにはちょっとやそっとではきれいにならないものです。
　それと同様に、心遣いは銘々に我がの理として許されていますが、思召に適わない自分中心の勝手な心を使っていると、やがて心は曇り濁って、親神様の思召も悟れなければ、十分なご守護も頂けなくなってしまいます。これが、身上の障り、事情のもつれともなって現れます。
　このほこりの心遣いを反省し、払う手掛かりとして、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八つのほこりを挙げ、さらに、「うそとついしょこれきらい」と心遣いの間違いを戒められています。教えの理を聞き分け、心の定規として、心遣いを改めるならば、心はすきやかとなり、身も鮮やかに治まります。これを「神がほうき」と仰せられます。
『ようぼくハンドブック』より
灰塵
    不符合父母神的心態，以［灰塵］比喻而教導。灰塵如一吹就會飛走的微小之物。但如稍不注意，就會積存，再怎麼清掃也無法像本來那樣清潔。
    與此相同，每個人的心都是做為自我之理而賜與之物，如只顧自己，不符合神意而恣意而為的話，不久內心將混濁，無法領悟父母神意，也無法充分蒙受佑護。結果將會為身體疾病、事情煩惱而痛苦。
    反省灰塵的存心，做為清除的手段，舉出吝惜、貪心、憎惡、偏愛、怨恨、氣憤、私慾、驕傲等八種灰塵。更再諭示［月日險惡謊與諂］，訓誡人們錯誤存心。詳明教義，並以此為內心的準繩，改換心念時，內心自然清澄，身體也健朗，這種做法就教導說，以［神為掃］。
                      摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2006/11/11.html</link>
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         <pubDate>Thu, 23 Nov 2006 00:44:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>秋季大祭</title>
         <description>昨日、梅花出張所秋季大祭を執り行いました。
高雄も少し涼しくなった感があります。
でもまだまだ半袖。今月初めには海水浴も楽しめました。
昨日発行の通信です。


梅花出張所通信35号
立教169年（2006年）10月22日発行
❍　日誌
9月24日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、植田和夫、寺下和樹。（計10名）。
❍　我曰
　高雄に移り住み、２年余りが過ぎました。ここはとてもいい所です。気候も温暖、食べ物もおいしい、特に果物など。物価もそれほど高くないし、南部の人の人情味は自他共に認めるところ。都会都会していない、のんびりとした空気が流れている、何とも住みよい所です。しかし、来たばかりの頃からずっと残念に思っていることがあります。それは高雄の空です。晴れているのに空が白く曇っているみたい。すっきりと青空が広がることがめったにありません。何とかして「高雄に青空を」広がらせたいと日々考えています・・・。
    來到高雄，已經住了兩年多了。我覺得這裡是很棒的地方。氣候溫暖、食物美味、特別是水果。物價也每那麼高，南部人的人情味是人所公認的。並不是大都會，感覺到悠閒自在的氣氛，真是個好生活的地方。但是，我有一點從剛到的時候一直覺得很可惜。那就是高雄的天空。雖然有出太陽，但天空白白好像陰天似的。很少看到清清楚楚的藍天。我天天在想辦法使高雄成為［藍天高雄］‧‧‧。

❍　天理教教義的要項
用語解説　【かりもの】
　「思うようにならんへというは、かりものの証拠」
（おさしず　明治21年7月28日）
とあるように、病んで初めて身体が自分の思い通りにならないことを知ります。
　「たんへとなに事にてもこのよふわ　神のからだやしやんしてみよ」（三　40、135）
「にんけんハみなへ神のかしものや　なんとおもふてつこているやら」                                                  （三　41）
との「おふでさき」にうかがえるように、かしもの・かりものの教理の背景には、この世は神の身体という世界観があります。すなわち、神の身体であるこの世の一部をわが身の内としてお借りしているのです。従って、世界と人体は一つの天の摂理に支配されていることになります。
『ようぼくハンドブック』より
用語解說  【借貸之物】
    [身乃借物不由己，不由己，乃借物之證](御指圖 明治21年7月28日)
就如御指圖教導似的，一旦生病才了解到身體無法運用自如。
    整個宇宙皆身軀  細思則可漸瞭悟    (三 40、135)
    人體皆由神貸之  以何心思用此體    (三 41)
就如御筆先的教導，從借貸之物的教理背景，可知這個世界是身軀的世界觀；也就是說，人類借身軀的一部分做為己身而使用。因此，世界與人體都是承受同一個天之理所支配。
                      摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2006/10/post_18.html</link>
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         <pubDate>Tue, 24 Oct 2006 01:50:11 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>9月の月次祭</title>
         <description>きのう（24日）に、9月の月次祭を執り行いました。
和やかで、楽しいひと時でした。
以下は、きのう発行した通信です。


梅花出張所通信34号
立教169年（2006年）9月24日発行
❍　日誌
8月27日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、廖彩蓮、林俐、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝（計11名）。
❍　我曰
　先月の月次祭には、台北から彩さんと俐ちゃんがわざわざ参拝に来てくれたり、大勢でのお祭りでした。賑やかで結構でした。
    上個月的月次祭的時候，Aya-san跟Li-chan特地從台北來參與我們的參拜。很多人聚會，非常熱鬧。

❍　天理教教義的要項
かしもの・かりもの
　だれもが自分のものであると思って使っている身体を、親神様からの「かりもの」と教えられます。そして、心だけが自分のものであり、その心通りに身の内をはじめとする身の周りの一切をご守護くださるのです。これを、「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る」（おさしず　明治22年2月14日）と仰せになっています。
　従って、借りものである身体は、貸主である親神様の思召に適う使い方をすることが肝心です。この真実を知らずに、銘々に勝手気ままな使い方をすることから、十全なるご守護を頂く理を曇らせ、ついには身の不自由を味わうことにもなってきます。
　この思召に沿わぬ自分中心の心遣いをほこりにたとえ、不断に払うことを求められます。
　また、親神様のご守護に与ることのできる心遣いは誠の心であり、その最たるものは「人をたすける心」であると教えられます。
　「借りる」とは「他人のものを、あとで返す約束で使う」（『広辞苑』）ことです。従って、かりものである身上（身体）は、いずれはお返しすることになります。これが出直しです。
　そして、末代の理である銘々の魂に、新しい身体をお借りしてこの世に帰ってくることを、生まれ替わりと教えられます。
『ようぼくハンドブック』より
借貸之物
    大家都認為身體是自己之物，但父母神教導其為[借貸之物]，並說心才是自我之物。身體以及週遭一切的祐護，皆依照心靈而賜與。由此教導說：[人者，其身乃是借物，唯有心靈屬於自己。每天所思所為均出自其心。](御指圖 明治22年2月14日)
    因此，借來的身體，必要遵照貸物主父母神的神意使用才重要。不知道這一件事實，只顧自己任性任意使用時，就會使全能的祐護蒙上陰霾，而嘗受到疾病的苦果。
    將不符合父母神意，自我為中心的存心比喻為灰塵，要我們不斷的掃淨內心。
    還有，唯有誠心才能蒙受父母神祐護，並教導說，以懷有[救人之心]最為重要。
    [借物]是[他人之物，用完後必須返還]之意。因此，借貸之物的身體，總有一天必須歸還，這稱為轉生。
    還有，每個人做為永世之理的靈魂，再借新的身體回來世間，這就是轉世再生。                      摘自《新版用木手冊》
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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2006/09/9.html</link>
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         <pubDate>Mon, 25 Sep 2006 14:59:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>８月月次祭</title>
         <description>きのう（２７日）、８月月次祭を行いました。
台北からあやさんと娘のりーちゃんも参拝に来てくれました。
それから、毎月来られる呂さん、今月初めて来られた許さんと邱さん（文藻の学生）、天大後輩の松崎さんと、大勢で賑やかに勤めさせていただきました。

エアコンがないので、扇風機をたくさん回してのおつとめでした。
来月になれば、少しは涼しくなっているかな・・・

以下は、今月発行のニュースレターです。

梅花出張所通信33号
立教169年（2006年）8月27日発行
❍　日誌
7月23日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、寺下和樹（計７名）。
7月30日～8月22日　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜一時帰国。3年ぶりのおぢばがえりー北海道の教会ー新潟
8月8日～20日　リカさん・メグさん姉妹、北海道の教会へ。
❍　我曰
　この夏は、三年ぶりのおぢばがえり、感激でした。24日間の旅となりましたが、あちこちで懐かしい人に会えました。また、暑い(?!)北海道に帰り、賑やかな教会となりました。台湾からは私達五人のほかに、リカさん姉妹が教会に帰りました。リカさんは月次祭にもおつとめくださり、これは一番嬉しいことでした。そして、ケニヤからのムテンベイさんとの出会いも忘れられません。いつかケニヤで再会したいと思っています。
    今夏我們隔了三年終於實現返回原地，覺得很感激。這二十四天的旅程當中能見到很多年沒有見面的親友。也有回去炎熱(?!)的北海道，教會變非常熱鬧。除了我們五個以外，RIKA桑姐妹也從台灣回去教會。尤其RIKA桑參加月次祭聖舞，這是對我最高興的一件事情。另外，在教會認識了肯亞的睦天貝先生，這是難忘的事。我在想希望有一天在肯亞再會他。

❍　天理教教義的要項
さづけ
　現行のさづけは「てをどりのさづけ」、もしくは「あしきはらいのさづけ」といわれるもので、病む人に取り次いで身上回復のご守護を願うものです。
　親神様は取り次ぐ者と取り次がれる者の心の真実をお受け取りくださって、どのような不思議なたすけもお現しくださいます。
　「さづけの理」は、九度の別席順序を運んで心を洗い立て、たすけ一条を誓って願い出るところにお授けくださいます。おさづけの理を戴いた人を「ようぼく」と呼びます。ようぼくとは、陽気ぐらし世界建設のための人材、用材という意味です。
　その使命は、頂戴したおさづけをしっかりと取り次ぎ、また、教祖の教えを人々に伝えて、陽気ぐらし世界の建設に向かって力を尽くすことです。
『ようぼくハンドブック』より
神授
    現行的神授一般稱為［手舞神授］或［掃除邪惡神授］，對病人行使，祈願身疾早日復原。
    父母神接納行使的人及被行使者之誠心時，則任何奇異的拯救皆顯現出來。
    ［神授之理］是遵照順序聽講九次別席，洗淨內心、誓願專心拯救而提出申請時領受之物。領受［神授之理］的人稱為［用木］。用木是建設康樂生活世界的人才、建材之意思。
    用木的使命是確實行使領受的神授。還有，要將教祖的教導傳達給眾人為康樂生活世界的建設而盡心力。
    摘自《新版用木手冊》

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         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2006/08/post_17.html</link>
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         <pubDate>Mon, 28 Aug 2006 12:37:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>7月の月次祭</title>
         <description><![CDATA[暑い中、今月は２３日に月次祭をつとめさせていただきました。
今日は２５日。また台風です。仕事休み。子供も一日早く夏休みのスタートとなります。
では、今月のニュースレターです。

<strong>梅花出張所通信32号</strong>立教169年（2006年）7月23日発行
❍　日誌
６月２５日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、植田和夫（計６名）。
❍　我曰
　先日、五十代の台湾人男性に知り合いました。話の中で、その方のご両親は日本教育を受けていて、生活も日本風だったことに及び、子供の頃、学校に行く時は「いってきます」、帰ったら「ただいま帰りました」という挨拶を普通にしていたということ。小さい頃から躾けられていたようで、ある時「ただいま帰りました」を言い忘れ、晩ご飯を食べさせてもらえなかったと、笑いながら、そして昔を懐かしむように話してくれました。
　日本では家族の繋がりが弱くなりつつあると聞いたりします。基本的なことかもしれませんが、毎日言葉を交わすことが大切なのかなあと、ふと感じました。
    前幾天，我認識了一位五十幾歲的台灣歐吉桑。我們談天說地，話談到他的父母受過日本教育而家裡生活也有些日本式的習慣。他小時候，上學時要說［我上學了！］，回家時說［我回來了！］。這從小就被父母如此做，有一天，他忘記說［我回來了］，結果媽媽不讓他吃晚飯。他一邊微笑一邊掛著懷念昔日的臉，談給我聽。
    最近常聽到日本家庭內的家族關係變弱了。這或許是最基本的事，但我忽然想到家族之間每天相互打招呼，這是蠻重要的。

❍　天理教教義的要項
つとめ
　天理教における最も大切な祭儀で、たすけ一条の道の根本の手立てです。第一義的には、本部神殿で勤められる「かぐらづとめ」を指します。つとめは「かぐら」を主とし、「てをどり」に及びます。
　かぐらは、十人のつとめ人衆が、「ぢば・かんろだい」を囲んで、元初まりの人間世界創造に際しての親神様のお働きを手振りに表して勤めることによって、元初まりの親神様のご守護を今に頂き、よろづたすけの成就と陽気ぐらしの世への立て替えを祈念するものです。
　かぐらに続いて、神殿上段で男女三人ずつによる、てをどりが勤められます。いずれも、つとめの地歌である「みかぐらうた」と九つの鳴物の調べに合わせて、陽気に一手一つに勤められます。
　つとめは、また、その意味合いから、ようきづとめ、たすけづとめ、かんろだいのつとめとも呼ばれます。
『ようぼくハンドブック』より
聖舞
    在天理教來說，聖舞是最重要的祭典儀式，也是專心拯救之道的根本。最根本的要義是指著於本部神殿奉行的［神樂聖舞］而言。聖舞以［神樂］為主，並配以［手舞］。
    神樂是由十位奉行聖舞人員，圍著［原地甘露台］，以手勢表現元始當初父母神創造人類世界時的功能。由於奉行此聖舞，才得以蒙受父母神創世的佑護，並祈願萬般拯救與此世成為康樂世界的實現。
    繼神樂之後，由登上神殿上段的三男三女奉行手舞。神樂與手舞都是奉唱聖舞的［神樂歌］，並配合九種樂器的曲調，齊心合一康樂地奉行。
    聖舞依其所蘊含的意義而言，也稱為康樂聖舞、拯救聖舞、甘露台聖舞。
摘自《新版用木手冊》
]]></description>
         <link>http://www.ban796.com/blog/taiwan/archives/2006/07/7.html</link>
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         <pubDate>Tue, 25 Jul 2006 02:13:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>きょうは６月講社祭。</title>
         <description>きょうは講社祭をつとめさせていただきました。

一時帰国の飛行機が取れました（買えました）。
7月30日～8月22日です。（関空往復）
3年ぶりに家族でおぢばがえりです。

以下は、きょう発行の通信です。

梅花出張所通信31号
立教169年（2006年）6月25日発行
❍　日誌
５月２８日　梅花出張所月次祭
　佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、呂榮元、植田和夫、寺下和樹（計８名）
❍　我曰
　梅雨の時は雨だなあ…、明けると熱いなあ…と天気に堪能できないことがよくあります。しかし、全ては神のご守護。感謝の心は忘れてはいけません。
　　梅雨季節覺得雨這麼大而每天下，一過了覺得太熱了，我們往往容易對天抱不平。可是一切都是父母神的祐護，我們不可忘記感謝之心。
❍　天理教教義的要項
十全の守護
神名	はたらき
くにとこたちのみこと	人間見の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。
をもたりのみこと	人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。
くにさづちのみこと	人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
月よみのみこと	人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。
くもよみのみこと	人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。
かしこねのみこと	人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。
たいしよく天のみこと	出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。
をふとのべのみこと	出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。
いざなぎのみこと	男雛形・種の理。
いざなみのみこと	女雛形・苗代の理。
全能佑祐護
神名	功能
古尼托郭他基諾彌格多	在人體內具有祐護眼睛以及滋潤身體的功能；在外界則具有祐護水的功能。
歐莫她利諾彌格多	在人體內具有祐護體溫的功能；在外界則具有祐護火的功能。
庫尼薩次基諾彌格多	在人體內具有祐護女子性器以及表皮組織的功能；在外界則具有祐護萬物互相連結的功能。
次基又密諾彌格多	在人體內具有祐護男子性器以及支撐骨骼的功能；在外界則具有祐護萬物使之能直立的功能。
庫莫又密諾彌格多	在人體內具有祐護飲食排泄的功能；在外界則具有祐護水氣上升或下降的功能。
卡西叩涅諾彌格多	在人體內具有祐護呼吸或說話的功能；在外界則具有祐護風的功能。
代孝庫天諾彌格多	生產時，可使母子的胎緣分離，轉生時，可使斷絕氣息；在外界則具有祐護一切割切的功能。
歐托諾別諾彌格多	生產時，具有拉引胎兒的功能；在外界則具有祐護一切拉引的功能。
伊咱那義諾彌格多	是創造人類時的男雛形，並具有種源的功能。
伊咱那密諾彌格多	是創造人類時的女雛形，並具有苗床的功能。

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         <pubDate>Sun, 25 Jun 2006 23:00:29 +0900</pubDate>
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