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2006年09月25日

9月の月次祭

きのう(24日)に、9月の月次祭を執り行いました。
和やかで、楽しいひと時でした。
以下は、きのう発行した通信です。


梅花出張所通信34号
立教169年(2006年)9月24日発行
❍ 日誌
8月27日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、素成、なおり、日々喜、廖彩蓮、林俐、呂榮元、許廣益、邱玉鳳、松崎道孝(計11名)。
❍ 我曰
 先月の月次祭には、台北から彩さんと俐ちゃんがわざわざ参拝に来てくれたり、大勢でのお祭りでした。賑やかで結構でした。
上個月的月次祭的時候,Aya-san跟Li-chan特地從台北來參與我們的參拜。很多人聚會,非常熱鬧。

❍ 天理教教義的要項
かしもの・かりもの
 だれもが自分のものであると思って使っている身体を、親神様からの「かりもの」と教えられます。そして、心だけが自分のものであり、その心通りに身の内をはじめとする身の周りの一切をご守護くださるのです。これを、「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る」(おさしず 明治22年2月14日)と仰せになっています。
 従って、借りものである身体は、貸主である親神様の思召に適う使い方をすることが肝心です。この真実を知らずに、銘々に勝手気ままな使い方をすることから、十全なるご守護を頂く理を曇らせ、ついには身の不自由を味わうことにもなってきます。
 この思召に沿わぬ自分中心の心遣いをほこりにたとえ、不断に払うことを求められます。
 また、親神様のご守護に与ることのできる心遣いは誠の心であり、その最たるものは「人をたすける心」であると教えられます。
 「借りる」とは「他人のものを、あとで返す約束で使う」(『広辞苑』)ことです。従って、かりものである身上(身体)は、いずれはお返しすることになります。これが出直しです。
 そして、末代の理である銘々の魂に、新しい身体をお借りしてこの世に帰ってくることを、生まれ替わりと教えられます。
『ようぼくハンドブック』より
借貸之物
大家都認為身體是自己之物,但父母神教導其為[借貸之物],並說心才是自我之物。身體以及週遭一切的祐護,皆依照心靈而賜與。由此教導說:[人者,其身乃是借物,唯有心靈屬於自己。每天所思所為均出自其心。](御指圖 明治22年2月14日)
因此,借來的身體,必要遵照貸物主父母神的神意使用才重要。不知道這一件事實,只顧自己任性任意使用時,就會使全能的祐護蒙上陰霾,而嘗受到疾病的苦果。
將不符合父母神意,自我為中心的存心比喻為灰塵,要我們不斷的掃淨內心。
還有,唯有誠心才能蒙受父母神祐護,並教導說,以懷有[救人之心]最為重要。
[借物]是[他人之物,用完後必須返還]之意。因此,借貸之物的身體,總有一天必須歸還,這稱為轉生。
還有,每個人做為永世之理的靈魂,再借新的身體回來世間,這就是轉世再生。 摘自《新版用木手冊》

投稿者 k-ji : 2006年09月25日 14:59