« 2007年12月 | メイン | 2008年02月 »

2008年01月 アーカイブ

2008年01月08日

ケニアの年末年始

ケニアでは昨年末27日に大統領選挙が行われ、混乱が始まり、
各地で暴動が起こりました。現在までの死者は600名、避難民は50万とも言われています。
今日8日、ようやく現職大統領、最大野党のリーダー、アフリカ連合議長などでの会談が行われることが発表され、良い方向へ向かっているのではないだろうかと思います。

これまでに起こったことは
http://www.afpbb.com/middlelist/704
この辺で確認できます。
でも現実は記事よりもずっとずっと過酷で悲惨です。

私の動きは、昨年暮れ29日にエンブへ移動し、年越し。
一度ナクルへ行くために通過し、その時にガソリンを運良く入手。
昨日、無事ニャフルルへ帰ってきました。
ナクルでは2泊し、出発の朝ホテルの駐車場にいると、トラックなどでデモを行う集団の騒ぎ声が聞こえました。
ホテルの警備員が慌ててゲートを閉めていたようです。
ナクル市内のディスコやクラブといった場所は安全のために閉店か、暗くなる前に閉めてしまっています。
また2軒のクラブが焼かれたという噂もあります(事実関係未確認)。

ニャフルル市内でこの混乱の中で何が起こったか。
・当選発表直後から市民による祝賀パレードのようなものが夜中まで続く。
・当選発表のあった30日の午後6時頃ルオー青年が開いていた服飾を販売する露天が焼かれる。
・5日午前7時、AK47と拳銃で武装した二人組の強盗が警官によって射殺。警官2名と住民1名が撃たれて怪我。
・ここ数日のうちにマララル、カカメガ、エルドレットから計500人近くの避難民が数台のトラックで到着。

ナイロビやキスム、カカメガ、エルドレットなどからすると微々たるものかもしれません。でも確実に爪あとを残しています。
大規模な暴動、殺し合いが起こる地域は、ルオー族もしくは対立候補の政党を支持する部族の人口が多く、さらにキクユ族も存在するという地域です。ニャフルルはほとんどの住民がキクユ族で現大統領の政党を支持しています。ルオー族も若干います。ソマリも少なくありません。ですから安全だといわれていました。騒ぎを起こすのはルオー族だからと。店を焼かれたルオー青年は、普段から政治的な発言を行い、周囲からあまり良く思われていませんでした。そしてその結果、財産を失いました。今はまた店を建て直しているようです。
焼かれるに至った経緯は詳しくはわかっていません。単純に、一方的にその青年が悪いと言うことはできません。ニャフルルに住む人がここは安全だという理由は、ここでは圧倒的にキクユ人が多いから、です。でも選挙の結果が反対だったとしたら、いったいどうなっていたんだろうか。私は、ルオー青年の店はやはり焼かれていただろうと思うのです。

強盗は最終的に一軒の民家へ押し入り、そこにいた小さな子供を盾にしてなにかを要求していたようですが、打ち込まれた催涙弾によって逃げ出し、そこを射殺されたそうです。周辺には銃撃戦の後がものものしく残っています。立てこもった家の鉄板でできたゲートには中と外から打ち込まれた数百の穴があいているそうです。二人の強盗に関しては政治的な犯罪ではありませんでした。そもそもルオーでもカレンジンでもなく、キクユの20歳前後の青年だったそうです。ですが直接関係なくても、間接的に、心のどこか奥で高揚した心理状態をうませたのかもしれません。こじつけかもしれませんが、実際選挙が近くなると犯罪が増えるのも事実です。この日は夜遅くまで武装警察の見回りが行われ(他に仲間がいると考えられたため)、人々は怖くて表にでることができませんでした。落ち着きをとりもどしたのは夜中の12頃だったそうです。この事件の解決の要因の一つに、現場への警察の到着が早かったということがあげられました。ニャフルルにはチョコラがいます。ボロボロの服を着て路上で生活し、学校にも行かず、シンナーなどを吸いながら街中を徘徊する小さな子供たちです。今回の現場はそんな子供たちの行動範囲の近くで起こり、彼らはすぐに騒動を聞きつけ、周囲に異変を知らせるため大声で叫び声をあげて周辺を走り回ったのです。運良く近くに警察の住宅・基地があり、そこで騒ぎ声を聞いた警察がすぐに駆けつけ、対応することができました。子供たちには感謝状も金一封もあたえられず、今日も街をフラフラとさまよっています。

対立候補の政党ODMを支持する部族は、ルオー、カレンジン、サンブルなどです。マララルはニャフルルから車で約4時間ほどに位置する小さな町。ここにはサンブル族の人たちが住み、キクユ族の人々も住んでいます。マララルは土地がやせていて雨も少ないので農耕がむずかしく、キクユ族はニャフルルからの食べ物などをマララルで売っています。その町で突如として暴動や放火、殺戮が開始されたのです。キクユ人はニャフルルへ逃げてきました。一台の大きなトラックの荷台に50~70人が乗り込み、数回に分けて移動しています。今日もまた何台かのトラックがマララルから到着するとのことです。彼らは着の身着のまま、何も持たずに出てきています。もちろん必要なお金、物、宿泊する場所のあてもないままに逃げてきた人がほとんどです。ニャフルルへ到着するとまず警察へ行き、非難民として登録され、あとは自分たちでなんとかしなさいと言われます。つてがある人たちはそこへ、なければ教会や学校などを頼っていくようです。彼らには食料や衣類、滞在場所が必要です。

この安全と言われているニャフルルでも、確実に爪あとは残りました。
でもきっといつか、傷跡も消えて、みんな仲良く暮らす日がくると、そんな日々をみんなで作っていくことができると、
信じています。

祈ることしかできない、無力感。それは間違いです。
祈ることこそ、大きな、大きな力を得る、最善であり、最短の方法なんです。
宗教とか神様を信じていようがいまいが、ぶっちゃけどうでもいいです。
ただこの世界には、人間では計り知れない、良くわかんないけどなにか偉大な存在があることを
みんなもう知ってるはずです。その曖昧で良くわかんない、けど偉大なものに、
みんなで祈ればいいんです。

世界に平和を。

2008年01月15日

お願い

13日日曜日。
カルガへ行ってきました。ニャフルルから5キロ。
エルドレット、モロなどからの避難民が到着した町です。

現在そこには各地から避難してきた人々が約50名ほど、いくつかのグループに分かれて暮らしています。
人々の呼びかけによって、食糧や衣料が集まり、しばらく提供できるだけの分量が集まりました。
しかしながら、彼らが元住んでいた場所に帰ることができるのか、それとも新たな場所で生活を始めなければならないのか、
未だに誰にもわかりません。
何も持たず、着の身着のままで逃げてきた彼らには、お金も、物も、何も無く、今はただ、周囲からの善意を待つほか無く、
先行きも不透明なまま、毎日を暮らしています。
私が話した人、全て、二度と帰りたくないと言っていました。残してきたものもあるけど、そんなものよりも自分の、家族の命の方が大切だと。
20人ほどの人々の世話をしている、ロッジ(宿泊施設)の奥さん曰く、
ここでは食糧や衣料は今のところなんとかなっている。
けれども彼らにとって、この地域の夜の寒さは非常につらい。今は衣服をたくさん身につけ、固い冷たい床や椅子の上でもなんとか
身を寄せ合って休んでいるが、今後、病気にならないか心配である、とのこと。

私は、彼らに毛布、また、可能であればマットレス(寝るとき下に敷くスポンジ状のもの)を
提供したいと考えています。できるだけ早く持って行きたいと考えていますが、
今週末の20日(日曜日)か来週の27日(日曜日)を予定。
毛布は一枚500円(約300ケニアシル)です。

できれば十分な数の物資が行き渡るように用意したいと思っています。
どうか、皆様のご協力をお願いします。
一枚でも全然OKです。半分だって全然OKです。
少しずつ力をあわせればきっとたくさんの人が喜んでくれるはず。
口座は郵便局(ぱるる)
記号19790 番号 11860681
NGO響(ひびき)の会
です。
ご協力くださる方は、メッセージで詳細連絡いただけるとありがたいです。

カルガでは例の教会焼討ちから奇跡的に助かった人達が来ていました。
その中には2歳くらいの男の子、そしてその母親と、生後3ヶ月ほどの赤ちゃんがいました。
ほんとは写真で紹介したかったのですが・・・多くを語ろうとしない母親を前に、
カメラを向けることができませんでした。
大勢の避難に使われたのは大型トレーラーでした。
持ち主はエルドレットで商売をしていた人でしたが、数百万の財産を全て投げ捨て、避難してきました。
無一文になろうとも、もう戻るつもりは無い、と語っていました。
彼の家のすぐそばまで、暴徒と化した群集が押し寄せてきたそうです。
彼の兄弟がカルガで前述のロッジを経営しています。

彼らには、他にも食器や鍋など、生活必需品も必要だと聞きました。
今週中に確認の意味を含めてもう一度訪れる予定です。

ニャフルル市内及び他の周辺の町にも避難民キャンプがあります。
これらも近いうちに行ってみます。


以下、BBCによる教会焼き討ちに関する記事、引用
------------------------------------------------------------------[国際]【ケニア】暴徒が教会を焼き討ち、暴動を避け避難していた30人が焼死(1/1)

2008/01/02 00:52

◆ Kenyans burned to death in church(BBC)
news.bbc.co.uk

ケニア西部で、先週の大統領選後拡大している暴力から教会に避難していた30人が焼き殺される事件が発生。そのほかに数十人がひどい火傷で病院に搬送されている。

事件があったのはエルドレットの町。警察や目撃者によると、暴徒が教会を襲撃した模様。
エルドレットはリフトバレー内に位置し、民族間対立の歴史を有する。選挙後も、最悪の暴力が頻発している。

教会の牧師のBoaz Mutekwa氏がBBCに語ったところによれば、教会には「神のケニア会議 of God>」の400人が避難していた。午前10時ごろ襲撃で放火されたという。犠牲者の多くは再選されたキバキ大統領と同じキクユ族のグループだったという。

現場の報道関係者がロイターに語ったところによると、若者のグループが警備員を倒し教会の建物に放火
したとのこと。また教会内部や外に多くの炭化した死体を目撃したとのこと。

現地特派員によると、キクユ族数百人がこの数日の間に避難場所を求めて教会や町の警察署周辺に避難していた。

日曜日の選挙結果が出た後、この数日間で少なくとも160人がケニア各地で死亡している。
英ブラウン首相は、ケニアの政治指導者に対話を呼びかけ、「暴力を止めなければならない」と述べている。

メニュー

ばんなぐろ
トップページ

近ごろの会長さん

謝謝台湾

@KENYA

@北極 -web-

About 2008年01月

2008年01月にブログ「@KENYA」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年12月です。

次のアーカイブは2008年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。