2008年04月05日

ケニアの全国紙で紹介

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日本からケニアの大きな夢を持って
海外移住者ニャフルル市で少年のためのフットボールアカデミー設立にむけて
ニャフルルは一人の日本人サッカーファンの努力によって近くサッカーアカデミーを得るだろう。佐藤洋司氏はすでに市営グラウンドにおいて、様々な学校へ通う児童を誘い、週末を除いて(*1)毎日練習を行っている。そのアカデミーはプロサッカーを含む幅広いコースを提供する予定で、また将来のスターとなる未発掘のタレントを育成する。周囲の反応も良く、佐藤氏は10ミリオン(*2)で教会や学校なども含んだアカデミー施設を設立する計画である。
流暢なスワヒリ語を話す佐藤氏は、もし、そういったプログラムが真剣に執り行われたならば、あと20年もするとケニアはワールドカップに出場し、注目を浴びることになり、また、ニャフルルのワールドクラスのアスリートを生み出してきた標高2400メートルという地域条件は、サッカータレントを育成することにもなると述べる。
結果分析
私が参加した佐藤氏のグループの練習はアフリカカップ(*3)の結果分析から始まった。学校の制服を着たままの子を含んだ少年達はガーナで行われたトーナメントでのそれぞれの大好きな選手の名を挙げた。33歳の佐藤氏はMAN.UのC.ロナウドといった最近のスターやイギリスのプレミアリーグのクラブチームを羨ましく感じてはいるが、彼自身はスペインリーグのサッカースタイルを好んでいる。日本では彼はJリーグでここ数年好調である浦和レッズ(*4)のファンである。
彼はとても宗教的な家庭で育ってきた。彼の父、佐藤圭吾氏は日本で教会を営み、彼の母、貞子がそれを手伝い、彼の兄は教会後継者としての準備をしている。兄の一人は中国(*5)で支所を運営している。彼は11年前に教会の支所を始めるためにケニアに来た。天理大学の宗教学科の4年次生の時に、論文執筆のため、父が行う(*6)ケニア北部の救援プログラムに乗じてケニアを訪れた。彼は最終的にエンブやメルにおいて農業、教育、健康といった分野での父の教会の活動(*7)が開始されるまで、何度もケニアに滞在しているうちにケニアが好きになった。彼は当麻高校と凌雲大学(*8)でサッカーをしていた。また、兄の一人は実家でサッカーチームのコーチと運営をしている。
佐藤氏はニャフルルのアカデミーには、サッカーの練習で使われる良いフィールドが必要だと考えている。彼は昨年末(*9)にニャフルルに来て、彼自身の日々の運動として町外れの小さなスペースでボールを扱っていた。地域の少年達が彼の技を見て喜び、少年達と一緒に遊ぶようになってから、さらに人数も増えてしまったので、より広い市営グラウンドへと移ることになった。
サッカーシューズ、彼は自分の費用でいくつかのシューズを買うために中古市場を訪れている。問題は、子供達のための程度、質の良い革製のシューズが市場では少なく、人工皮革シューズを買わなくてはならないことだ。グループには現在日本から持ってきた4つのボール(*10)があり、ユニフォームが送られてくるのを待っている。
ボールに関しての問題は、最年少メンバーにとっては通常のボールでは重いということだ。(*11)グループには20人程の少年達がいるが、彼は年齢別に分類したいと考えている。
彼が教会の活動について考えている時以外はヨーロッパサッカーの事を考えている。
「教会の活動や、面白いサッカーの試合以外の時は、寝てるよ」(*12)と語る。もし彼のサッカーアカデミーの夢が実現したなら、彼は、選手を日本のクラブチームへ移籍させるという次のステップへ移行しようと計画している。
「選手の練習風景をビデオに撮って日本に送り、興味を持ったクラブチームは選手を採用することができる。そして日本で選手としてプレイする間は、大きなヨーロッパのクラブチームのスカウトの目に留まる可能性もでてくる。」と語る。彼は、日本のクラブチームが、ニャフルルのアスリートをそうしたように、ケニアのサッカー選手にも興味を持ってくれると考えている。
佐藤氏はまた、教育や慈善的支援を行うK-CEP(*13)というNGOの活動にも関わっている。
写真注釈
上:ニャフルルで練習の準備をする日本からの移住者、佐藤洋司
右:練習の指揮をとる。彼はニャフルルでサッカーアカデミーを設立する予定。
訳注
(*1) 週末を除いて・・・
週末の方が一生懸命やってます。子供もたくさん来るし。
(*2) 10ミリオンで・・・
言ってません。
(*3) アフリカカップ
当時、テレビで放映されていて、みんな注目していた。結果、エジプトが優勝。
(*4) 浦和レッズ
すいません。ここ数年日本にいないので超適当に答えてしまいました。レッズは小野さんしか知りません。
まだいるんだろうか。
(*5) 中国
台湾です。
(*6) 父が行う
これは聞いてた人が勘違いしたんでしょう。正確には別の天理教の教会です。
(*7) 父の教会の活動
上記と同様。この方がわかりやすいんだろうか。
(*8) 当麻高校と凌雲大学
どちらも存在しません。大学名は先に出てるのにね。
(*9) 昨年末に
正確には2年前の5月です。誤差、1年半。これがケニアクオリティ。
(*10) 4つのボール
もっとあります。普段は全部使いません。盗まれるのが怖いので。
(*11) 通常のボールでは重い
そんなことありません。多分この人の思い込み。
(*12)
伝えようとしたのとはちょっと違います。これだとただのサッカーバカみたいです。ホントは、ここは他にすることがないもんね、みたいなニュアンスだったんですけど。
(*12) K-Cep
echoです。全然違いますっていうか、こっちもKycepだし。協力関係にはあるんですけどね。

2008年03月17日

地元紙に掲載

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ニャフルルの地域情報誌に私達の活動が掲載されました。

以下、本文の適当な翻訳です。

NGO ECHO 国内避難者への支援
ニャフルルのNGO ECHOは選挙後の暴動による被害者、避難民に対する支援の第一線で活動してきた。
echoスタッフのベン、ムホロによると、echoはリフトバレー、ニャンザ州からニャフルル近辺に避難してきた人々を支援してきた。
echoの責任者である佐藤(日本人)は、カルガに住む複数の避難家族にジコ(七輪のようなもの)、20リットルのポリタンク、毛布、食器類など、様々な品を贈呈した。ダラグアでは避難者の職業支援のために建物を借り、住居、美容院、理髪店、洋裁、木工などに仕切られる予定である。ベン、ムホロはechoが今後どのように支援を行っていくか、より詳細にわたって説明し、そのためにニャンダルア地区での避難者に関する情報を集めている。
避難者はナクル、コル、ロンディアニ、キスムなど様々な土地から来ている。
echoはエンブの天理教から派生し、後者はまたシャマタへの巡回診療と食糧支援を計画している。
一方で・・・・(以降、別のNGOの活動について記述)

そして13日、カニャギア地域で食糧などの贈呈を行いました。
※前回カソグと書いだ場所。正確にはこの地域名でした。
この時の支援物資はエンブのアフリカ児童教育基金の会からの協力です。
日本の支援者の皆様、そしてケニアのエンブの教会につながる皆様に
心からお礼申し上げます。
最後の写真が贈呈時のものです。

この日はおよそ370世帯の人々が集まりました。
物資はトウモロコシ 2.7トン、豆 450キロ、油、塩、石鹸、洗剤、衣類です。
さらに医者1名と薬品。これが大変ありがたかったです。
カニャギアは病院からとても遠いため、食糧よりも長蛇の列となりました。
避難者ではない地元の人も医者が来ていると聞いて列に加わっていたようです。
診療を終えた人から順におさづけのお取次ぎをさせていただきました。
スタッフ全員、大変疲れましたが、本当に充実した一日で、
あげた側ももらった側もみんな喜べた日でした。

地域のチーフから感謝状をいただきました。

でも彼らの困難はまだまだ多く、可能であれば再びなにかしらの支援のために
訪れたいと思います。この日集まったのはこの地域の避難者全体のおよそ半分の人々でした。

この贈呈に関しては次回詳細を追記したいと思います。

2008年03月05日

お礼とお知らせ

大変遅くなって申し訳ありません。

今回の暴動後の国内避難民支援基金、マイシャ イエンデレー プロジェクトに
ご協力いただいた皆様に厚くお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
前回の日記にもあるように、今後も継続的な支援を行っていく予定です。

ニャフルル周辺の状況をお知らせいたします。

各キャンプ地(教会など)では、できるだけ早期に避難民がそれぞれの家族単位で生活できる場所を
提供することに重点を置いており、現在集団で生活しているのはニャフルルの福祉会館のみです。
提供される場所は、借家(アパート)、住居内の空き部屋などで、大家さんや住民の善意に
よるところが大きく、食事についても家主からも支援を受ける場合がほとんどです。
もしくは知人や親類を頼っていく人も少なくありません。
避難民の99%はキクユ人です。

ニャフルル市内:
登録された避難民の数は1121人、うち300人ほどが市の福祉会館内でキャンプ生活をしています。
会館には避難民対策用の食糧、衣類などがストックされています。
会館外の人々は週に数回、会館で食糧を配給され、それぞれの住居で生活します。
会館自体、大きなキリスト教会に貸し出されているので、物資は豊富に見られ、
また、世話をするスタッフが常駐しています。
子供達は近くの小学校(8年制)へ通うことを許可され、ユニフォームは無いけれども
とりあえず勉強を続けられることに喜んでいます。
高校生(4年制)は、学費や食費が払えず、通えないケースもあります。
小学校には政府の方針で学費がありません。

マングオ(ニャフルルから5キロ、スラム地区)
およそ300人ほどが避難していると考えられます。最初は教会で生活していましたが
それぞれ住む場所を確保することができました。
子供達は近くの学校か市内の学校へ通っています。

カルガ(ニャフルルから12キロ)
およそ100名が最初の暴動で避難。教会やホテルで生活していましたが、現在は
すべて住居を確保されました。

マイロイネ(ニャフルルから8キロ)
PCEA、7thDAY各教会に約300人ずつ住んでいましたが、現在は皆それぞれ
住居を提供され、各地方へ移動しました。カソグへ移動した人々もいます。
教会内には残っていません。

カソグ(ニャフルルから36キロ)
かなりの田舎です。
およそ1200人の避難民が生活しています。上記場所は全て赤十字や大きな教会などから
食糧などの支援を受けることができましたが、ここには大きな教会もなく、
赤十字も通っていません。舗装道路から12キロほど悪路を入ったところに
位置することもその理由の一つです。地域のチーフと呼ばれる長がなんとか
食糧などを工面してきましたが、それも先週で底をつきました。
このあたりでは未だにちゃんとした住居を得られず、軒下などで寝起きしている人も
存在し、毛布や衣類なども大変不足しています。病院も遠く、不自由しています。
エンブ、アフリカ児童教育基金の会から支援を受け、来週ここに食糧を支援する予定です。
また、同所のケニア人スタッフへ衣類の提供を呼びかけてもらいました。
私達からは毛布を用意しようと思います。

アナン氏の仲裁をもって、各政党の対立にひとまずピリオドが打たれました。
あくまでも政治的な主張に関する妥協案に同意したというだけですけど、
大切な一歩であることは確かです。
各地での暴動も減少し、外務省の危険レベルも一部下げられました。
少しずつ落ち着きを取り戻しているといってよいと思いますが、
まだ非常に薄い氷の上にいるような感じです。
そして大きな大きな問題を抱えてしまいました。

大統領は皆それぞれの場所へ帰れ、もう安全だから、という。
一体何を根拠にそんなことをおっしゃりなさりやがるんだろう、と思う。
今現在でも逆に逃げてくる人、避難する人々がいるというのに。
もちろん戻ることができれば恐らくベストだ。
以前とまったく同じように暮らせるという保障があるのなら。
だけど心情的にも今すぐ帰るのは不可能だ。
5年後にまた選挙があるんだ。
というか今まで、西部では過去の選挙の度に衝突が起こったりしている。
そしてその度にその地を去り、別の土地でやり直そうと引っ越す人々がいる。
今のように避難民という呼び方はされないけれども。

手を差し伸べることからはじめよう。

2008年02月17日

癒されない傷と埋められない溝

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ネットの状態が悪く、連絡が遅れましたことお詫び申し上げます。
私(とお金)をご心配してくださった皆様、申し訳ありません。
残念ながら私は無事です。
この一ヶ月、より細かい調査と毛布や生活用品の支援を行っていました。
とりあえず近況報告を載せます。
支援に関する詳細報告を次回に記載します。もうしばらくお待ちくださいませ。


昨年12月末に行われた大統領選挙。
その後、再選した大統領と、野党側対立候補との争いが生じ、
それぞれが属する部族間の対立を引き起こしました。
その結果、各地で暴動が起こり、大勢の避難民が生じました。
比較的安全な地域もしくは、その部族にとって安全といわれる地域では
難民キャンプが広がり、たちまち食糧や物資の不足といった事態を招きました。

現在暴動は沈静化しつつあります。しかし、避難してきた人々のほとんどはその恐怖から
元の場所に帰ることはできず、避難した場所、もしくは親類を頼って
新しくやり直そうと考えています。
家を焼かれ、なにも持たずに逃げてきた彼らには、すでに帰る理由などないのです。

echoでは近辺の避難民の調査、それに伴って毛布、生活用品の支援を行ってきました。
現在大所帯のキャンプの数は減り、人々は賃貸、仮説住居などに移りつつあります。
しかし、住む場所が変わっても、十分な食糧を得ることができる保証はなく、ほとんどが
キャンプにいた頃とさほど変わらない生活をしています。
避難民の半数は18歳以下の子供です。

彼らが必要としているのは食糧、そして仕事です。
そこで、単なる食糧、物資による支援から、次の段階に移行しようと考えています。
MAISHA IENDELEE
スワヒリ語で、人生を続けよう、という意味です。
食糧や物資支援を行いながら、各人が現金収入を得られるようにサポートする
体制を整えます。様々な方法がありますが、具体的な例をあげると

農業支援(農地の借地代と毎月の給料を支援)
技術職支援(ミシン、大工道具といった手に職を持つ人々がそれぞれの店を開くための支援)
バイク・自転車タクシー支援(小型単車、自転車の支援)
ケニア民芸品作成支援(民芸品を作成、販売する支援)
一輪車路上販売支援(一輪車の贈呈)

皆さんから贈っていただいた支援金を元に、これらをグループ単位で行い、少しずつ現金収入を得ると共に、
将来への不安を少しでも解消し、希望を持てるように、支援を行いたいと思います。

調査を行った段階での近隣に住む避難民の数はおおよそ1500人です。

現在、元国連事務総長コフィ・アナン氏の仲介の元、対立していた派閥同士での話し合いが続けられ、
なんとか仲直りをしようと試みています。本日15日、その調停内容の一部が発表される予定です。
内容によってはまた暴動が再発する恐れがあり、注意するようにと日本大使館から連絡がきました。
しかしながら、それよりも恐ろしいのは、暴動は、すでに各政党リーダーの手をはなれて
深刻な部族間対立に発展してしまった感があるということです。
各政党とリーダーがもし和解したとしても、人々の心には、深い、とても深い傷が残りました。
そして部族間の溝はさらに深まってしまったことはいうまでもありません。
この一ヶ月の混乱で人々が負った傷と溝が修復されるには何十年、またそれ以上の年月が必要でしょう。
ただでさえ楽ではなかった暮らしが、さらに難しくなりました。
しかしながらケニア人には持ち前の明るさ、前向きさがあります。
暗い方向へ進むのではなく、この困難を乗り越え、さらに糧として再出発できますように。
将来のケニアが前よりもずっと良い国になりますように。
そのためのお手伝いをさせてもらいたいと、そう願っています。


写真1枚目はカルガで支援を行った物品です。一家族に対し、毛布人数分、水用タンク、コップ、皿、鍋、ヤカン、パンガ、七輪などをセットにしたもの。

2枚目はニャフルル市内にある福祉会館内のキャンプへ毛布を30枚届けた時のものです。

3枚目はニャフルル近くのスラム、マングオという場所で各家庭で聞き取り調査を行っている時の80歳のおばあちゃんです。彼女は35歳の娘、さらにその子供や孫3人と避難しています。

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2008年01月15日

お願い

13日日曜日。
カルガへ行ってきました。ニャフルルから5キロ。
エルドレット、モロなどからの避難民が到着した町です。

現在そこには各地から避難してきた人々が約50名ほど、いくつかのグループに分かれて暮らしています。
人々の呼びかけによって、食糧や衣料が集まり、しばらく提供できるだけの分量が集まりました。
しかしながら、彼らが元住んでいた場所に帰ることができるのか、それとも新たな場所で生活を始めなければならないのか、
未だに誰にもわかりません。
何も持たず、着の身着のままで逃げてきた彼らには、お金も、物も、何も無く、今はただ、周囲からの善意を待つほか無く、
先行きも不透明なまま、毎日を暮らしています。
私が話した人、全て、二度と帰りたくないと言っていました。残してきたものもあるけど、そんなものよりも自分の、家族の命の方が大切だと。
20人ほどの人々の世話をしている、ロッジ(宿泊施設)の奥さん曰く、
ここでは食糧や衣料は今のところなんとかなっている。
けれども彼らにとって、この地域の夜の寒さは非常につらい。今は衣服をたくさん身につけ、固い冷たい床や椅子の上でもなんとか
身を寄せ合って休んでいるが、今後、病気にならないか心配である、とのこと。

私は、彼らに毛布、また、可能であればマットレス(寝るとき下に敷くスポンジ状のもの)を
提供したいと考えています。できるだけ早く持って行きたいと考えていますが、
今週末の20日(日曜日)か来週の27日(日曜日)を予定。
毛布は一枚500円(約300ケニアシル)です。

できれば十分な数の物資が行き渡るように用意したいと思っています。
どうか、皆様のご協力をお願いします。
一枚でも全然OKです。半分だって全然OKです。
少しずつ力をあわせればきっとたくさんの人が喜んでくれるはず。
口座は郵便局(ぱるる)
記号19790 番号 11860681
NGO響(ひびき)の会
です。
ご協力くださる方は、メッセージで詳細連絡いただけるとありがたいです。

カルガでは例の教会焼討ちから奇跡的に助かった人達が来ていました。
その中には2歳くらいの男の子、そしてその母親と、生後3ヶ月ほどの赤ちゃんがいました。
ほんとは写真で紹介したかったのですが・・・多くを語ろうとしない母親を前に、
カメラを向けることができませんでした。
大勢の避難に使われたのは大型トレーラーでした。
持ち主はエルドレットで商売をしていた人でしたが、数百万の財産を全て投げ捨て、避難してきました。
無一文になろうとも、もう戻るつもりは無い、と語っていました。
彼の家のすぐそばまで、暴徒と化した群集が押し寄せてきたそうです。
彼の兄弟がカルガで前述のロッジを経営しています。

彼らには、他にも食器や鍋など、生活必需品も必要だと聞きました。
今週中に確認の意味を含めてもう一度訪れる予定です。

ニャフルル市内及び他の周辺の町にも避難民キャンプがあります。
これらも近いうちに行ってみます。


以下、BBCによる教会焼き討ちに関する記事、引用
------------------------------------------------------------------[国際]【ケニア】暴徒が教会を焼き討ち、暴動を避け避難していた30人が焼死(1/1)

2008/01/02 00:52

◆ Kenyans burned to death in church(BBC)
news.bbc.co.uk

ケニア西部で、先週の大統領選後拡大している暴力から教会に避難していた30人が焼き殺される事件が発生。そのほかに数十人がひどい火傷で病院に搬送されている。

事件があったのはエルドレットの町。警察や目撃者によると、暴徒が教会を襲撃した模様。
エルドレットはリフトバレー内に位置し、民族間対立の歴史を有する。選挙後も、最悪の暴力が頻発している。

教会の牧師のBoaz Mutekwa氏がBBCに語ったところによれば、教会には「神のケニア会議 of God>」の400人が避難していた。午前10時ごろ襲撃で放火されたという。犠牲者の多くは再選されたキバキ大統領と同じキクユ族のグループだったという。

現場の報道関係者がロイターに語ったところによると、若者のグループが警備員を倒し教会の建物に放火
したとのこと。また教会内部や外に多くの炭化した死体を目撃したとのこと。

現地特派員によると、キクユ族数百人がこの数日の間に避難場所を求めて教会や町の警察署周辺に避難していた。

日曜日の選挙結果が出た後、この数日間で少なくとも160人がケニア各地で死亡している。
英ブラウン首相は、ケニアの政治指導者に対話を呼びかけ、「暴力を止めなければならない」と述べている。