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梅花通信88号

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梅花出張所3月月次祭に参拝された皆さん

こんにちは。台湾は高雄にあります天理教梅花出張所です。
4月24日には、4月の月次祭をつとめました。
その席でもお話しましたが、
5月1日に全教一斉ひのきしんデーがあります。
午後2時から仁愛公園でごみ拾いのひのきしんをさせていただきます。
どうぞご参加ください。

では、24日発行の梅花通信88号です。

梅花出張所通信88号
立教174年(2011年)4月24日発行

❍ 日誌
3月27日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、なおり、日々喜、謝志昆、洪龍山、謝佩容、高雪芬、蕭惠琳、松崎道孝。(参拝者計10名)

❍ 我曰
 1992年。今からもう19年前になりますが、大学を卒業した私は、布教と留学を志し、台湾へ来ました。その時最初に知り合ったのが近所に住む黄さん一家でした。その後6年台北にいる間は大変お世話になりましたが、最後の年にお父さんが出直し、告別式に駆けつけたことが昨日のことのように思い出されます。それから日本、シンガポール、高雄と住まいが転々としましたが、台北を訪れる度に必ずお母さんの顔を見に行くこととし13年が過ぎました。そして昨日はそのお母さんの告別式でした。この19年が走馬灯のように頭を巡り、特に最初に台湾へ来た時のことが強く思い出されました。初心に帰って新たな歩みを進める旬かなと心に浮かびました。
 
1992年,那是19年前的事。剛大學畢業的我以傳教與留學為志來到台灣。當時第一認識的就是鄰居的黃先生一家。之後的六年一直都受到他們的照顧。我記得最後一年那爸爸轉生而參加告別式。後來我們到日本、新加坡、高雄等南一次北一次地搬家,但每當到台北時,一定去看黃媽媽,這樣已經過了13年的時間了。昨天我去台北參加媽媽的告別式。以往的回憶如走馬燈般在腦海裡迴旋,尤其是剛到台灣那時候的。現在是回到初志再進新一步的時旬,我心想如此。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一二九 花疥癬のおたすけ
 明治十六年、今川聖次郎の長女ヤス九才の時、疥癬にかかり、しかも花疥癬と言うて膿を持つものであった。親に連れられておぢばへ帰り、教祖の御前に出さして頂いたら、
 「こっちへおいで。」
と、仰っしゃった。恐る恐る御前に進むと、
 「もっとこっち、もっとこっち。」
と、仰っしゃるので、とうとうお膝元まで進まして頂いたら、お口で御自分のお手をお湿しになり、そのお手で全身を、
なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
と、三回お撫で下され、つづいて、又、三度、又、三度とお撫で下された。ヤスは、子供心にも、勿体なくて勿体なくて、胴身に沁みた。
 翌日、起きて見たら、これは不思議、さしもの疥癬も、後跡もなく治ってしまっていた。ヤスは、子供心にも、「本当に不思議な神様や。」と思った。
 ヤスの、こんな汚ないものを、少しもおいといなさらない大きなお慈悲に対する感激は、成長するに従い、ますます強まり、よふぼくとして御用を勤めさして頂く上に、いつも心に思い浮かべて、なんでも教祖のお慈悲にお応えさして頂けるようにと思って、勤めさして頂いた、という。

一二九 花疥癬的拯救
一八八三年(明治十六年),今川聖次郎的長女雅思九歲時,患上疥癬,而且是會化儂的花疥癬。夫妻二人一起帶著她回到原地,當他們進到教祖面前時,教祖說:
[到我這兒來。]
雅思戰戰兢兢地向前走幾步,教祖又說:
[再過來一點,再過來一點。]
當她進到教祖跟前時,教祖用口水沾濕雙手,然後撫摸雅思的全身三次,口中念著:[南無天理歐諾彌格多 南無天理歐諾彌格多 南無天理歐諾彌格多]接著又撫摸三次,之後再三次。雅思雖是小孩子,心中也對有此殊榮而感動不已。
第二天早上起床後一看,不可思議的那麼嚴重的疥癬,竟然消失得連一點痕跡都沒有了。[實在是不可思議的神呀。]幼小的雅思也不禁如此想著。
據說雅思對教祖一點也不嫌她身上這種骯髒的東西的慈悲甚為感激,而且這種感懷,隨著年齡的增加越是深刻。後來在成為用木,致力於拯救工作時,心中仍時常想起此事,因此,為了報答教祖的此種慈惠,她總是十分勤勉的工作。

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2011年04月26日 19:12に投稿されたエントリーのページです。

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