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梅花通信116号

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 ♪梅花出張所8月月次祭に参拝された皆さん♪

みなさん、こんにちは。台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
きのうは、にぎやかに今月の月次祭をつとめさせていただきました。
では、きのう発行しました、「梅花通信116号」をご覧ください!

梅花出張所通信116号立教176年(2013年)9月29日発行

❍ 日誌
8月18日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、黃美蘭、廖彩蓮、李佳玟、小高裕次、小高由美子、岡田庄治。(参拝者計7名)

❍ 我曰
 8月26日、奈良県天理市にある、教会本部の月次祭に参拝しました。毎月26日にかぐらづとめと十二下りのておどりがつとめられますが、一年ぶりだったこともあり、非常に心が勇みました。この世と人間の創造を表し、今現在もこの全ての世界と全ての生物に一時の休みもなく下される守護を表すおつとめを拝し、世界たすけの根源をあらためて思いました。

8月26日我在奈良縣天理市的教會本部月次祭參拜。每個月26日在這裡行使神樂聖舞與十二段的手舞。因為我隔了一年難得參拜,我心裡非常踴躍。這聖舞是表現創造此世界與人類,也表達現在也給全世界與全部的生物毫無一瞬間的休息繼續祐護的。我拜了此聖舞,重新感受到世界拯救之真正根源。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一九六 子供の成人
 教祖の仰せに、
 「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ。」
と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。
一九八 どんな花でもな
 ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衛、平野トラの三名が、教祖の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖は、
 「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。

一九六 子女的心靈成長
教祖一再重複地教導說:
[並不是年幼無知的子女不懂事,而是做父母的沒有好好教導啊!父母如能徹底教導,子女的心靈成長自然會顯現出來。]
由於教祖的一番慈心而開闢了這條道路,因此不明白的人才得以明白,未能獲救的人也能獲救,受苦的人也可免於受苦。
一九八 無論什麼花
據說有一次,清水與之助、梅谷四郎兵衛和平野寅三個人,聚在教祖面前,談論各自的講社不如意的情形。於是教祖安慰說:
[無論什麼花,總有開與不開的時候,雖然一年不開,但新的年一到,自然會開啊!]

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2013年10月01日 00:52に投稿されたエントリーのページです。

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