♪ 天理教梅花出張所9月月次祭に参拝された皆さん ♪
皆さん、こんにちは!
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
10月ももう過ぎていきますが、
当出張所では、10月25日に、秋季大祭をつとめました。
そして、当日、梅花通信も発行しましたので、
皆さんにお届けします。
どうぞご覧ください!!
梅花出張所通信201号
立教183年(2020年)10月25日発行
❍ 日誌
9月20日 梅花出張所月次祭 参拝者7名
❍ 我曰
よく授業で、人を褒める時の表現を教えます。「その髪型いいね!」「その服似合ってるね!」「さすがだね!」「腕上げたね!」などなど。教室でお互いに褒め合う練習をすると、皆いつにない笑顔を見せてくれます。あなたは、普段の生活で、そばにいる人を褒めていますか?どんどん褒めていくと、周りに笑顔が広がっていきますよ!ちょっとしたことでも褒められると、やっぱり嬉しいものですから。
上課時,我常常教稱讚別人的表達方法。「你這個髮型好看哦!」「這件衣服很適合你耶!」「不愧是你!」「你進步很多呢!」等等。學生們在教室練習互相稱讚時,和平時不同的笑容滿面。那你呢?在平常生活上有沒有稱讚在你旁邊的人?你盡量稱讚下去,大家的笑容會擴展到你的周圍吧!因為即使對小小的事被別人稱讚的話,我們還是很高興。
❍ ちょっと考えてみよう!親神様のお話‐父母神的祐護
骨が支えてくれるから
赤ちゃんは、生まれてしばらくすると、ハイハイができるようになって、立てるようになるとヨチヨチ歩きだします。その後、身長も伸びて、好きな所へ歩いて行けるようになりますね。
そのように、私たちの体が大きくなるのにも、自由に動けるのにも、 全身を支えてくれる骨が大きな役目をしてくれているのです。
みんなの家を支えるには何本もの柱が必要なように、私たちの体もたくさんの骨で支えられています。骨がなかったら、動くことも立つこともできません。
特に私たち人間は、二本足で歩くことができます。そのおかげで人間は自由に両手を使えるようになりました。両手が使えるから、野球やドッジボール、テニスなどのスポーツもできるし、物を持ち運ぶことができます。
そう考えると、何気なく二本の足で歩いていることも、手が自由に使えるということも、とてもすごいことなんだということがわかりますね。
その足や手が使えるのも、骨がしっかりしているから。それは骨が硬く丈夫でいられるようにしてくださっている親神様のお働きなのです。
骨がこんにゃくみたいにグニャグニャだったらどうでしょう。立って歩いたりすることもできません。鉛筆を持って字を書くことができるのも、親神様が、丈夫な骨を私たちに与えて下さっているからなのです。
元気な手足を人のために使いましょう。
重たい荷物を持って困っている人がいたら手を差し伸べてあげましょう。
電車で立っているお年寄りがいたら席を譲ってあげましょう。
親神様は、そのように人のために体を動かすことをとても喜んでくださるのです。(内容一部改変)
多虧骨骼的支撐
小嬰兒出生後,經過一段時間便會開始爬行;學會站立後,開始搖搖晃晃學走路。之後,個子也長高,喜歡去哪就能去哪了。
其實我們可以長大,自由行動,都是因為有骨骼在支撐我們的身體。
就像我們居住的房子,需要靠許多柱子支撐,人體也一樣,必須借助骨骼。如果沒有骨骼的話,我們根本動彈不得。
特別是我們人類,用雙腿行走;而且因為有骨骼,我們的雙手才能自由活動。因為雙手可以靈活運作,所以我們能玩棒球、躲避球、網球等的運動,還能夠搬運東西!
只要這樣想就可明白,我們不自覺中所使用的,不管可以走路的雙腳,還是能運用自如的雙手,都是相當神奇的事。
手腳能自由使用,都是因為有強健的骨骼在支撐著我們,而這也是父母神的祐護。
如果骨骼像蒟蒻般軟綿綿的話,會怎麼樣呢?我們根本就無法站立、行走。連平常的握筆寫字,也是因為父母神賜予強健的骨骼,我們才做得到。
那麼,我們就用這健康的雙腿、雙手,做對人有幫助的事情吧!
例如,看到有人拿著很重的東西時,我們可以立即伸出雙手幫助他一下。
在捷運上或公車上,如果有阿公、阿嬤沒位子時,我們就站起來讓座。
我們把身體用在對人有幫助的事情上,父母神一定會很高興。(改變內容一部分)