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2012年05月 アーカイブ

2012年05月01日

梅花通信100号

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梅花出張所3月月次祭に参拝された皆さんです!

みなさん、こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
きのう月次祭をつとめ、通信を発行させていただきましたが、
なんと区切りの100号!
2000本安打じゃないですが、これも一つの通過点。
続けていくことがまず大切。コツコツいきましょう。

では、みなさん、ご覧ください!

梅花出張所通信100号
立教175年(2012年)4月29日発行

❍ 日誌
3月25日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、日々喜、高雪分、謝佩容、謝志昆、黃美蘭、小高裕次、小高由美子、棚田義行。(参拝者計10名)

❍ 我曰
 感謝の心は信仰の出発点だと思います。朝目が覚めた時「ああ、今日も結構に朝が迎えられた」と、また一日の終わりに「一日結構にお連れ通り頂いた」と神様にお礼を申し上げます。そして、月次祭では一か月の感謝の気持ちを神様に捧げます。感謝の気持ちを行いに表すと、「ひのきしん」になります。ひのきしんの姿は、周りの人も気持ちよく感じられるし、何より神様にもお喜び、勇んで頂けます。一年に一度全世界で一緒に行う「ひのきしんデー」が高雄では5月6日14時から仁愛公園であります。一緒に心地よい汗を流しませんか?

信仰的出發點就是感謝之心。每天早上睡醒時想[啊,今天也能醒來了],而晚上想[今天也很平安過去了],應向父母神道謝。參拜月次祭時要表示這一個月的感謝心。然後把感謝之心用行為來表現的,被稱為[聖勞]。聖勞這個表現,影響到周圍的人感到歡喜,而且使父母神歡樂踴躍的。[全教一齊聖勞日]是一年一次在全世界同步進行聖勞的日子。在高雄(仁愛公園)5月6日下午2點開始。請大家踴躍參加,一起流很舒暢的汗水,怎麼樣?

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一五八 月のものはな、花やで
 ある時、教組は山本利八に、
 「あの南瓜や茄子を見たかえ。大きい実がなっているが、あれは、花が咲くで実が出来るのやで。花が咲かずに実のなるものは、一つもありゃせんで。そこで、よう思案してみいや。女は不浄やと、世上で言うけれども、何も、不浄なことありゃせんで。男も女も、寸分違わぬ神の子や。女というものは、子を宿さにゃならん、一つの骨折りがあるで。女の月のものはな、花やで。花がのうて実がのろうか。よう、悟ってみいや。南瓜でも、大きな花が散れば、それぎりのものやで。むだ花というものは、何んにでもあるけれどな、花なしに実のるという事はないで。よう思案してみいや。何も不浄やないで。」
と、お教え下された。(抜粋)

一五八 月事恰如花
有一回,教祖對山本利八說:
[你看到那個南瓜和茄子嗎?能夠結出碩大的果實,是因為有開花才會結果的呀!花不開,那能結果呢?因此,你好好想一想,世人都說女人不潔淨,可是並沒有什麼不潔淨,不論男女一樣都是父母神的子女。只不過女性比男人多一樣苦差事,那就是懷孕生子。女人的月事恰如是花。沒有花,那有果?所以要好好的了悟。即使是南瓜,大的花只要一凋謝,就什麼也沒有了。雖然不結實的花,到處都有,可是絕不會有無花而結果的道理。仔細想一想,就可以明白沒有什麼不潔淨的呀。](摘錄)

2012年05月28日

梅花通信101号

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4月月次祭に参拝された皆さん


こんにちは。
台湾は高雄にあります、天理教梅花出張所です。
高雄は、めちゃめちゃ暑くなってきました。
土曜の午前はいつものように野球をしていますが、
一昨日は、暑くてフラフラきましたね。
すでに夏本番といったところです。

では、梅花通信101号をお届けします。

梅花出張所通信101号立教175年(2012年)5月27日発行

❍ 日誌
4月29日 梅花出張所月次祭
 佐藤圭司、むつ美、黃美蘭、小高由美子、長田万里。(参拝者計5名)

❍ 我曰
 5月6日は高雄のひのきしんデーでした。黃美蘭さんと小高由美子さんも一緒に参加して、仁愛公園の清掃に汗を流しました。暑い中でしたが、すがすがしいひと時でした。写真は台北から来られた伝道庁三濱庁長と一緒に撮ったスナップです。ちょうど時を同じくして、台北の莊金英さんが8人の友達を連れておぢばに帰りました。おぢばを参拝し、天理教基礎講座も受講しました。おぢばは人類の故郷。帰ると温かい親の心に包まれ、無条件に心が落ち着きます。

5月6日在高雄仁愛公園舉行一齊聖勞日活動。黃美蘭、小高由美子的兩位也一起參加進行清掃聖勞。我們都感到神情氣爽。也和台北下來的三濱傳道廳廳長一起拍照。另外剛好同一個時候,住台北的莊金英帶著8位朋友返回原地。除了參拜原地外,也有去聽天理教基礎講座。原地是我們人類的故鄉。一回到就被很溫馨的父母慈心懷抱,百分百平心靜氣的。

❍ 天理教教祖傳逸話篇
一六〇 柿選び
 ちょうど、その時は、秋の柿の出盛りの旬であった。桝井おさめは、教組の御前に出さして頂いていた。柿が盆に載って御前に出ていた。
 教組が、その盆に載せてある柿をお取りになるのに、あちらから、又、こちらから、いろいろに眺めておられる。その様子を見て、おさめは、「教組も、柿をお取りになるのに、矢張りお選びになるのやなあ。」と思っていた。ところが、お取りになったその柿は、一番悪いと思われる柿をお取りになったのである。そして、後の残りの柿を載せた盆を、おさめの方へ押しやって、
 「さあ、おまはんも一つお上がり。」
と、仰せになって、柿を下された。この教組の御様子を見て、おさめは。「ほんに成る程。教祖もお選びになるが、教祖のお選びになるのは、我々人間どもの選ぶのとは違って、一番悪いのをお選りになる。これが教祖の親心や。子供にはうまそうなのを残して、これを食べさしてやりたい、という、これが本当に教祖の親心や。」と感じ入った。そして、感じ入りながら、教祖の仰せのままに、柿を頂戴したのであった。教祖も、柿をお上がりになった。
 おさめは、この時の教祖の御様子を、深く肝に銘じ、生涯忘れられなかった、という。

一六○ 挑選柿子
秋天,正是柿子成熟的季節。舛井治女當時在教祖的身邊侍奉。
她拿了一盤柿子放在教祖面前,只見教祖在拿盤中的柿子之前,眼睛對著柿子看來看去。治女心想:[原來教祖拿柿子的時候,也是東挑西揀的啊。]不料教祖挑的竟是最壞的一個,然後她把盤子推到治女面前:
[來!你也來吃一個吧。]
說著給了她一個柿子。看到教祖的這種樣子,治女很受感動,[不錯,教祖也在挑,可是教祖挑的卻和我們一般人不同,她是選最壞的一個。這是教祖的慈心,把好吃的留給孩子吃,這才是真正的教祖慈心呀。]她一邊這樣想著,一邊遵照教祖的吩咐吃了柿子。同時,教祖也吃了柿子。
據說治女深深受教祖當時的行為所感動,一生銘記不忘。

2012年ひのきしんデー

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